ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

うつ病、パニック障害 心の病を抱えながら働くには

2022-09-30 11:05:28 | 闘病

うつ病やパニック障害など心の病を抱えて働いている方、また働こうとしている方は多いのだと思います。私自身がパニック障害やうつ病を30年以上抱えて生きてきた経験も含めて、苦しんでいる皆さんの参考になれば幸いです。

 

まず無理をしすぎないことです。心の病を抱えて仕事をしていることで、もう十分無理はしているはずです。

また出来るだけ好きな職業、勿論、消去法でいいのですが。私の場合はじっと座っていると調子が悪くなるので、常に立ち仕事を選んできました。それもきつくなり、結局、自営業に転身して現在に至るのですが、大変ですけど自分のペースでできることが長所かと思います。「開店資金に数百万円必要なのでは」と思う方もいると思いますが、私の場合は家賃半年分や仕入れ代金を含めて、100万かかりませんでした。勿論、家賃含め、なるべく安く抑える感覚は大事だと思います。それと自分の好きなこと、興味のあることを選べるに越したことはありません。無理しすぎれば、簡単に自律神経が乱れ、心の病も悪化してしまいます。

 

あと意外な所では投資です。働くことからは離れますが、金を稼ぐという意味では、選択肢になると思います。私もコロナ渦で自分の仕事がどうにもならない時、株を始めました。勿論、自分の生活資金は確保した上で始める事が重要です。株というとギャンブルと勘違いしている方もいるかとは思いますが、近い将来、学校の授業にも取り入れられることが予測できる程、この先、重要度は増してくるでしょう。ましてや心の病、体の病などで自由に働けない方にとっては社会貢献にもつながりますし、むしろ積極的に考えても不思議ではありません。ただ、自分の身の丈にあった額で始める事が大切です。

 

以上、自分一人の面倒を見るのに四苦八苦している人間の提案です。出来るだけ好きな仕事をすることが、持続可能に最も適しているのは間違いないのではないでしょうか。

 

 

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自殺の可能性は否定できない

2021-12-24 10:43:42 | 闘病

僕は自殺はしないのではないかと思ってきました。ひとつには自殺願望がそれほどはないですし、もうひとつは死に対する恐怖心が強いという理由からです。自殺未遂もないですし、それに対して真剣に考えたことはなかったと思います。

でも今朝、考えは凄く流動的なものということに、改めて気づかされました。

僕は現在、自営業なのですが、基本的には仕事場を借りて、自宅との往復の日々です。それに加えて、頼まれて出張することもあります。いまは、市内のカルチャーセンターに月に数回、足を運びます。

 

そして、また別の場所のカルチャーセンターから声がかかりました。自分にとっては距離が遠いんです。電車には2、30分乗らなければなりません。苦手な高架線という条件もあります。それでも基本的にはその話を受けようと思っていました。声を掛けられることは光栄ですし、行動範囲を広げられるチャンスでもあるからです。

 

しかし、今朝、倦怠感が強い中で、その話が浮かんでしまって、「無理だ。今日にでも断ろう」という考えが浮かびました。ベッドから出て、何時間か経った今は、出来ればこの仕事をやってみたいという方へ少し戻りました。

このことからも、「自分は自殺はしないだろう」という考え方がいつ変わっても不思議ではないと思いました。神田沙也加さんはどうだったのかなあ。

 

放火で亡くなられた大阪の心療内科の先生のような相談相手が欲しいです。僕の通っているところは大きな病院ということもあり、診療時間1分ですから。

なので同じようにパニック障害、うつ病に苦しめられた経験のある長嶋一茂さんの本を買おうかと思います。現在、凄くいい状態を保っているように見えますから。勿論、重なる部分もあれば、異なる部分もありますが、何かヒントがあることに少しだけ期待します。

皆さんもコロナ渦で大変な方も多くおられると思いますが、ご自愛ください。

 

 

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岩橋玄樹がパニック障害のため、グループ脱退

2021-03-30 10:57:53 | 闘病

パニック障害のため、活動休止していたKing&Princeの岩橋玄樹さんが、グループを脱退し、ジャニーズ事務所を退所することが発表されました。

私もパニック障害とは30年以上の長い付き合いになりますから、岩橋君の苦しみはよくわかります。

パニック障害は元来、10代から30才前後の若い人が発症する病気なのですが、若ければ若い程、症状が重くなる傾向があるようです。私も大学を中退したのですが、パニック障害は気力や根性ではどうにもなりません。

岩橋君も抗不安薬などの薬物治療をしていたと思いますが、薬で少し楽になる部分もあれば、全く効かない部分もありますからね。本来のパニック障害には完治という言葉はありません。少しでもましな状態にすることを目指すだけです。

またうつ病を併発しやすい病気です。私も併発しました。岩橋君も併発している可能性はあるでしょう。

そして、パニック障害の社会的特徴として、行動範囲や人間関係が狭まってくることが挙げられます。電車に乗ることすら命がけということもありますから仕方ないのですが、周りの人々が彼を支えて欲しいです。

 

パニック障害を抱えながら、浮き沈みの激しい芸能界に身を投じ、活動休止後も懸命に仲間やファンのもとに戻ろうとした岩橋君。あなたは勇者だ。これからの彼の人生に幸多いことを願います。

 

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パニック障害について

2019-12-13 19:40:29 | 闘病
ここのところ、将棋やドラマ、また詩や小説などを書くことが多かったので、この辺で一度、自分の人生のメインテーマであるパニック障害について記しておきたいと思います。このブログも、はや15年。いつ終わりが来るとも限りませんから。

間違った考えかもしれないけれど、1989年2月で自分の人生は終わったと思いました。しかし生きてはいるという状態です。生き地獄の始まりですね。当時、パニック障害という病気を僕が知る由もなく、世界で1人の病気だろうと思いました。

18歳以降にも知り合った男女はいます。予備校、大学、バイト先。しかし、長続きはしません。大学は中退。女性とは親密になればなるほど、別れが近いのです。パニック障害になることは行動範囲、人間関係を著しく狭めます。それを30年以上続けて、時代から周回遅れになったことも自覚しています。
パニック障害の代表的な症状である過呼吸発作は、だいたい初期に集中します。あとは残遺症状との闘いが中心になります。かといって自分も抗不安薬を急に減らせば、今もパニック発作は起きるわけですが。そして、パニック障害の患者の半数はなると言われるうつ病も併発し、現在に至っています。

ここからは自分を離れて、パニック障害という病気を見ていこうと思います。発症年齢は主に10代から30歳前後と若い時が大半です。40歳以上でパニック障害のような症状が出た人は体の病気や薬の副作用という見方が一般的です。
また女性に多い病気と言われますが、これも僕は疑わしいとみています。たまに女子高生が集団過呼吸のようなニュースを目にしますが、その多くは貧血が原因だと思います。パニック障害にも同じことが言えるようで、鉄を体内に取り入れると、若い女性のパニック障害には特に大きな効果があったという医師の本を読んだことがあります。メンタルの治療と並行して貧血を改善すると、いい方向に進める女性は多くいると思います。それと自分も含めてですが、男性の場合、パニック障害と分かっていても病院へ行かないケースも多いと推測すると、男女比もそれほどないのかなというのが僕の考えです。

自分の話に戻りますが、若い頃、もし手術で治る可能性があるなら1対9、1が成功、9が死でも、それを受けたいと思っていました。若いからまだ取り返しがきくと考えていたのです。今は多くの年を重ねてしまったので、そうも思わなくなりました。魔法の薬で治れば、凄く嬉しいですけど、もう取り返しのつかない多くの時が流れてしまいました。
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手記(僕とパニック障害の30年)

2019-11-01 19:25:41 | 闘病
目を覚ますと、ここ数日、久しぶりに布団の中から「死にたい」の繰り返しが聞こえてくる
活舌は意外にはっきりしていた
僕は決して口を動かしていない
鬱に加え、何日か前から風邪をひいたのが原因だろう
体をようやく起こすと、その声は消えてくれる

僕の鬱はパニック障害から生まれた
医者の言葉を継ぎはぎすれば、パニック障害の残遺症状
普段は自宅と店を歩いて15分の往復の繰り返し
自分には「健康のため」と言い訳しているが
実際には夜の自転車に不安があるからだ

休みの日はほとんど家にいて、電車はせいぜい2、3駅
永らく小さな生活を強いられた僕は、世の中から周回遅れとなり
今ではどこに世の中があるのか分からない

「それで生きていて楽しい?」と問われれば
「楽しいだけが人生じゃない」と答えるだろう
心の底では苦しみのみで死んでゆく自分に震えながら
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アイドルの休業。パニック障害という名の地獄

2018-10-26 21:41:18 | 闘病
King & Princeというアイドルグループの名は最近よく耳にすることはあったけれど、それ以外の知識は何もありませんでした。しかし、そのメンバーの岩橋玄樹さんがパニック障害のため、11月から休業するとネットで知り、思わず何かを書かずにはいられなくなりました。

パニック障害、いや、他の病気に関してもそうなのですが、一人ひとり症状は違います。推測ですが岩橋君の場合、幼少期からこの病気に苦しんでいたということ、一生この病気は治らないと感じているところから、少なくとも軽度ではなく、むしろ重度の可能性が高いのではないかと思います。

僕は彼ほど年齢は早くはなかったけれど18歳の時に発症しました。自分もやはり「これは一生治らない」と強く感じました。30年近くたった今も、形を少しずつ変えながらこの病気と付き合う生活です。だから岩橋君の絶望感は多少は分かるつもりです。彼の言うようにいじめが原因なのでしょう。しかし、その一方で遺伝的なものがあるように思います。

約30年前の話ですが、高3の時の担任が暴力教師で、自分が標的にされていた訳ではないのですが、標的の生徒を好き勝手に殴っている姿を見て、僕はすごく苛立っていました。それも一つの原因ではあるのでしょう。しかし、2つの病院で最初に言われたこと。「親、兄弟や親戚に同じような症状の人はいませんか」。つまり遺伝であると疑っているわけです。実際、若くしてパニック障害になった人は遺伝の要素が高いのではないでしょうか。親がその病気でなくても、その要素を持っていて、それが今の時代性と重なって子に出ることは十分考えられます。

岩橋君の話に戻りますが、まだ21才。これからの人生のほうがはるかに長い。僕が発症した30年前とは違い、今のほうが改善する可能性ははるかに高まっていると思います。僕の場合、パニック障害という病気自体知らなかったし、自分がこの病気であることを知るのに何年もかかりました。今はネットで検索すれば何でも情報を得られるし、どこの病院へ行くのが適切かということもわかりやすいと思います。岩橋君の場合、小学生の頃に発症ということで、改善していくには難しさはあるでしょうが、何とかいい方向に向かってほしい。そしてファンやこの病気で苦しむ人に、アイドルとして元気な姿を見せてほしいと願います。希望をもって焦らずゆっくり一歩ずつ。生きてさえいれば何かいいこともあるかもしれないですから。




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パニック障害で異性と付き合うということ

2017-02-11 20:47:08 | 闘病
「僕とパニック障害の20年戦争」を出版して8年。ここに恋愛を記したとしたら、クリスマス前に別れた女性の事だと思うんです。18歳でパニック障害になって以降、クリスマスに彼女がいたことはないです。ただ、バレンタインに本命チョコを貰った事はあります。

一口にパニック障害といっても、症状の重さの違いがあり、また男女の違いもあります。自分の場合は男であり、症状が重かった。この状態で女性と付き合うというのは困難でした。

チョコをくれた彼女との記憶。例えば、彼女とハンバーガーショップに入ります。僕は2つほど頼んだのですが、半分ぐらい食べた頃、急に吐き気を催し、食べる手が止まってしまいました。また、外食の時、椅子に腰掛けるより、和室で畳に座って食べるほうが調子が良かったので、金もないのに、彼女を寿司屋に連れて行きました。ここは、まずまず上手くいったんです。

その矢先、彼女に「レストランで食事したい」と言われ、嫌な予感がしたので「そのうち」と先延ばしにしていました。しかし、いつまでもごまかしは通じません。意を決して洋食屋に入ったのですが、ここで動悸が激しくなり、まともに食事が出来ませんでした。肉料理を食べながら、僕を気にしている彼女の目が、いまだに記憶から消せないでいます。そして「ディズニーランドへ行きたい」などと言われた時には、残念だけど別れるしかありませんでした。外へ出ているだけでも辛い状態な訳ですから。この恋も桜が咲く頃には、終わってしまいました。

18歳から20代の時は、早く年を取りたい、今すぐ老人になりたいと思っていました。パニック障害は治らなくても、友人関係や男女関係での悩みは消えると考えていたんです。しかし実際に中年になり、いまも孤独感があり、また、ほとんどの人が通ってきた全うな青春がない寂しさを感じます。僕は経営している個人店でラジオを流しているんですが、リスナーの月並みな青春を耳にするたびに、気持ちが沈みます。

運悪くパニック障害になってしまって、自分のような思いをしないためには、まず早めに病院へ行く事だと思います。僕がパニック障害を発症した1990年前後は、まだ精神科への敷居が高く、パニック障害という病名を、本人すら知りませんでした。そういう意味では、今の時代は、かなり環境的に整備されていると思います。症状が軽い場合は別として、ある程度、重い場合、病気が原因で大学なら中退、会社なら退職を考える状態なら、病院へ行って、適切な治療を受けるのが最善と考えます。僕は病院へ行くまで14年かかってしまいました。
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繊維筋痛症とパニック障害

2016-08-24 23:08:22 | 闘病
オリンピックも高校野球も、台風がどこかへ連れていってしまったようです。印象に残った競技はいくつもありますが、客観的に見て、最も偉業だなと思うのは、男子体操の内村選手の個人総合連覇です。団体でも大黒柱としてチームを金メダルへ導き、体操ニッポンを強く印象付けました。満身創痍の中で、よくやりましたね。

さて、北川景子のドラマを見るためか、珍しく前番組の世界仰天ニュース(でいいのかな)を見ました。そこで高校時代から原因不明の激しい全身の痛みに悩まされる20代前半の若い女性を取り上げていました。ようやくたどり着いた病名は繊維筋痛症。周囲で音がするだけでも激痛が走るそうです。その辛さは到底、想像の及ぶものではありません。

しかし、自分もパニック障害となって27年が過ぎました。彼女が周りに病気を隠そうとしたり、夢や結婚を諦めなければならない胸中は、よく分かります。自分もそうでしたから。幸いに彼女の場合、自らの症状に合った薬が見つかり、少し状況は良くなり、病気を知ってもらうための講演などにも前向きに取り組んでいます。しかし、病状は5段階ある中で3番目に重いそうです。彼女より重いレベルの段階になると、ほとんど寝たきりになるということです。

繊維筋痛症の患者は約200万人だそうです。命を奪う病気ではないようですが、痛みに耐え切れず、自殺する人も少なからずいるそうです。パニック障害の場合も直接的に命を奪われなくても、うつを併発するケースが多いので、やはり結果的に自殺に至るケースもあります。自分も抗不安薬とともに抗鬱薬も併用しています。

繊維筋痛症とパニック障害。共通するキーワードは脳の誤作動。この誤作動を修正するような薬が出現すれば、この2つの病気のある程度の部分はかなり改善されるのではないかという気はします。それが10年後か100年後かは分かりませんが。人間の体はマラソンを2時間続けたぐらいでは疲れないそうです。脳が疲れたという信号を出すから、体が疲れたと錯覚を起こすそうです。ヒトの脳は、大変優れてはいるけれど、同時に厄介なものでもありますね。

正直な話、自分もレキソタンという薬の力で、何とか日常生活は送れていますが、この先、何を目的に生きていけばいいのか分かりません。しかし、彼女はまだ若い。新たな治療法も見つかるかもしれない。希望を持って生きて欲しいです。
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生きてて何かあるのだろうか?

2015-05-13 16:38:35 | 闘病
「まだ生きてて何かあるのだろうか?」

「何を期待して生きているというのか?」

症状が強く出た日によく思うのだ


今日は季節はずれの暑い一日だった

店は定休日だ

体はだるい

朝はパン、昼は冷凍パスタで済ませたが夕食がない

僕はスーパーへ向かうため、家を出た


顔が前に向かない

強い不安の中、必然的に僕はアスファルトを見つめながら、歩いて10分程の
スーパーへ向かう

行き帰りの道すがら、スーパーでの買い物中、不安の霧の中でぼんやりと浮かぶのだ

「まだ生きるのか、おまえ?」と


この病気になって26年

病院へ通いだして12年

僕は何を望んで生き続けているのだろう?




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病名の告白

2014-12-16 21:56:13 | 闘病
今日、自分の病名を他人に話しました。しかも店のお客さんにです。確かによく来てくれる常連の女性のお客さんですが、まさか自分の病気について話すとは思ってもいませんでした。

それがなぜ話すことになったかと言えば、そのお客さんが若い頃、精神的に苦しんで病院へ行ったという話をしたからです。それにつられて「実は自分も・・・」と話した訳です。

これまでの25年、家族や病院の先生以外には誰にも話しませんでした。勿論、その間にこのお客さんより親しい人はいましたが、とにかく「ばれてはいけない」と隠そう隠そうとしてきました。必ず奇異な目で見られるに違いないからです。

しかし話し相手がメンタルを患っていたと話されると意外なほどにこちらのガードも下がるものなんですね。あっけなく話した自分に驚いています。

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