通夜や告別式で顔を合わせた、将棋関係者の面々には気を使われた。私が桜花戦最終局を間近に控えているからだ。先生と仲のよかった同年輩の棋士仲間などは、私の顔を見るなり、今にも泣き出しそうな顔をしている人もいる。「大変な時だけど、気をしっかり持つんだよ」というような言葉が多く並んだ。本当にかけたかった言葉は「桜花のタイトルを取って、森村を喜ばせてあげてくれ」なのだという事も、痛いほど伝わってきた。
私の両親も葬儀に参列した。父が先生の遺影を見つめ、涙を流しているのは意外だった。ただし、私に対しては、「静岡に帰って来い」「早く結婚しろ。いい相手がいる」を繰り返すばかりだった。
桜花戦第5局。人々の無数の手が、私の肩にのしかかっている様に感じた。それと同時に、何らかの力以上のものが湧き出るのではないかとか、先生が背中を押してくれるのではないかという、漠たる期待も浮かび上がっていた。しかし、裏腹なものである。指し手を重ねていくうち、確実に負けに向かっていく将棋になった。頭を振り絞っても、からからの雑巾のように、水一滴も出てこない。終盤の入り口で大差がつき、私は菜緒に頭を下げた。
感想戦の最中、私は将棋を振り返るというより、どうして力が出せなかったのか、という分析ばかりを繰り返していた。確かに多くの人々の想いは重圧だった。しかし、それよりも勝って、報告する相手がいない。そして、その内容を褒めてくれる人がいない。それが大きかったのではないか、という結論に至った。私はこれまで、勝利の喜びのほかに、先生に褒めてもらうために将棋を指してきたのかもしれない。
私の両親も葬儀に参列した。父が先生の遺影を見つめ、涙を流しているのは意外だった。ただし、私に対しては、「静岡に帰って来い」「早く結婚しろ。いい相手がいる」を繰り返すばかりだった。
桜花戦第5局。人々の無数の手が、私の肩にのしかかっている様に感じた。それと同時に、何らかの力以上のものが湧き出るのではないかとか、先生が背中を押してくれるのではないかという、漠たる期待も浮かび上がっていた。しかし、裏腹なものである。指し手を重ねていくうち、確実に負けに向かっていく将棋になった。頭を振り絞っても、からからの雑巾のように、水一滴も出てこない。終盤の入り口で大差がつき、私は菜緒に頭を下げた。
感想戦の最中、私は将棋を振り返るというより、どうして力が出せなかったのか、という分析ばかりを繰り返していた。確かに多くの人々の想いは重圧だった。しかし、それよりも勝って、報告する相手がいない。そして、その内容を褒めてくれる人がいない。それが大きかったのではないか、という結論に至った。私はこれまで、勝利の喜びのほかに、先生に褒めてもらうために将棋を指してきたのかもしれない。