慣用句の問題で、「たなから…」の続きを選ぶものがあったのですが
選択肢の「ぼたもち」を知らない生徒がいっぱい。
説明しようにも、なかなか伝わらず難しかったです。
ひょとして食べたことないのかなあ…。
考えてみれば、彼らの母親は私よりちょっと年上世代だから
自分でぼた餅やおはぎを作らない可能性は大きいかも。
そうなると、買って食べたいと思うくらい好きでないと
食卓で見ることはないってことか。
そういうわけで、「たなからぼたもち」=思いがけない幸運に恵まれること
がまるで共感されませんでした。
「たな」すら何の棚か理解不能のようだし。
仕方がないのでいろいろ例を挙げて説明を試みたところ
「引き出しからクッキー」みたいな感じ。
というのがわかりやすかったようです。
我々が一般常識だと思っていることでも
今どきの子供にとっては、全然身近でないからわからない
ということはたくさんあるんだろうな。
この前も「(童謡にでてくる)ひばりって何ですか?
」ってきかれたし。
鳥だということすら知らなかったことにビックリしました。
世代の違いという一言では済まされないものを感じます。
こんな田舎にいても季節を感じることが難しくなってきているんだなあ…。
選択肢の「ぼたもち」を知らない生徒がいっぱい。

説明しようにも、なかなか伝わらず難しかったです。

ひょとして食べたことないのかなあ…。
考えてみれば、彼らの母親は私よりちょっと年上世代だから
自分でぼた餅やおはぎを作らない可能性は大きいかも。
そうなると、買って食べたいと思うくらい好きでないと
食卓で見ることはないってことか。

そういうわけで、「たなからぼたもち」=思いがけない幸運に恵まれること
がまるで共感されませんでした。
「たな」すら何の棚か理解不能のようだし。

仕方がないのでいろいろ例を挙げて説明を試みたところ
「引き出しからクッキー」みたいな感じ。
というのがわかりやすかったようです。

我々が一般常識だと思っていることでも
今どきの子供にとっては、全然身近でないからわからない
ということはたくさんあるんだろうな。
この前も「(童謡にでてくる)ひばりって何ですか?

鳥だということすら知らなかったことにビックリしました。
世代の違いという一言では済まされないものを感じます。
こんな田舎にいても季節を感じることが難しくなってきているんだなあ…。