白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私の原稿とコメントの掲載誌。

2014-10-14 11:36:29 | インポート

十月九日(木)曇り。

どうやら群青忌前に機関誌「燃えよ祖国」の発送が間に合った。しかしヤマト便の話では台風が近づいているので、配達が遅れるかもしれない。とのこと。それは仕方がないが、せっかく作ったものなのだから、少しでも早く読者の所に届いて貰いたいものだ。

社友の都築信吾氏のお世話で「紙の爆弾」という雑誌に原稿を掲載させて頂いた。朝日新聞に関することで、タイトルは「野村秋介が朝日新聞に遺した『遺言』」というもの。サブタイトルは「エセ保守メディアが書かない『問題の深層』」。タイトルもサブタイトルも「紙の爆弾」の編集者が付けたもの。また今週発売の「アサヒ芸能」の特集、「『実録』でわかった天皇と朝日新聞」という記事に、私のコメントが掲載されている。先日の電話取材の折のものである。こちらも編集者によって良くまとめられていた。

2 ※「紙の爆弾」

1 ※私の原稿です。

Photo ※コメントが掲載されている「アサヒ芸能」

夜はおとなしく酔狂亭で独酌。秋刀魚が安くて美味しい。竜田揚げ、蒲焼にして食した。


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ガラケーの理由。

2014-10-11 07:47:50 | インポート

十月八日(水)晴れ。

ネットで「血盟団事件」関係の本を二冊注文したのだが、メールの確認を忘れて買えなかった。残念だけど仕方がない。フェイスブックも最近ではスマホで行っている人がほとんどだろうが、私は自宅と会社のパソコンでしかやらない、その理由は、まだガラケーの携帯を使っているからである。我が家は、携帯が私を含めて家族の分が四つ。そして会社用の携帯が一つの計五個。愚妻の分以外の四つは全て私の口座から引き落とされる。よって全てスマホに換えたなら月々三万円近くも支払うことになってしまう。

たかが携帯ごときに毎月三万円も支払うのはアホくさい。何の不便もないのでしつこくガラケーを使っている。ちなみにスマホを使っているのは下の子供だけ。「学校や部活の連絡がラインで来るから」と言われて仕方なく持たせた。あーあ昔は携帯などなくても何の不便も感じなかったのに。

午後から連載させて頂いている「実話ドキュメント」の原稿に向う。四時前に入稿。今回のテーマは第147回「中華街を読む」である。駄文を連載して頂いている「実ド」の編集長とスタッフの皆さんに感謝です。

原稿が一段落したので夜は、カメチャンに連絡を取り、久しぶりに藤棚の中華「愛福楼」で待ち合わせ。このお店では、いつも料理の「あたま」だけ注文して食べる。今回も「ワンタン」の「あたま」、つまり「茹でワンタン」や「パイコー飯」の「あたま」だけと、いつも我がままを言って楽しく食事をしている。その後「やまと」に転戦。アコちゃん合流。九時前に解散帰宅。


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まためぐる秋のさみしさ・・・。

2014-10-08 13:15:04 | インポート

十月七日(火)晴れ。

台風一過の晴天。あーあ秋を実感するなぁー。午後から、名刺で有名な「山櫻」に機関誌を入れる封筒を買いに行く。「角6クラフトCoC70」という品物。ネットリコーから印刷機のインク代の入金がありませんとか電話が入るし、出るのはため息、残るは借金。という感じである。

夜は、名前だけ真面目な「蜷川政経懇」を関内の「HIRO」にて開催。九人で侃々諤々、喧々囂々、杯盤狼籍、口角飛泡で二時間ほど。その後、有志にてサリーのお店へ。お馴染みさんばかりでわっしょい、わっしょいと盛り上がる。途中、故三浦和義さんの奥さんの三浦良枝さんから電話が入り、十一日に七回忌の法要を執り行うとのこと。もちろん出席と返事をした。ご命日は十月十日である。同じく十一日は、私の道の兄であった元楯の会の阿部勉さんのご命日でもある。

先に逝かれた人たちのことを思うと、野村先生の「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」の句が浮かぶ。友人に送って頂き帰宅。


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台風が直撃。

2014-10-08 12:51:39 | インポート

十月六日(月)台風が直撃。

昨日は文字通りの嵐の前の静けさだったが、今日は朝から台風の影響で風雨強く、大荒れの天気となった。わが陋屋はあちらこちらが傷んでいる。夏に物干し場や二階の戸袋などに防水処置を行った甲斐があって、雨漏りはなかったが、正直なもので、防水処置をしなかった一階の戸袋あたりから雨が漏って来た。むむむ油断大敵であること思い知らされた。

子供たちは休校となって、喜んでいた。そう言えば私が子供の頃も、台風などで休校になると神様がくれたプレゼントのように思ったものだ。停電になるとローソクを立てて、とっておきのカンズメで、薄暗い明りの下で母と食事をとる。何故かとても嬉しかったことを覚えている。あの頃は、缶詰類はこういった時にしか開けて貰えなかった。

缶詰で思い出すことがもう一つ。食事時になると聞こえる「かぁーいかーん、ほーちきぃー」の掛け声である。漢字で書くと、「開缶報知機」。差し入れや自前で買った缶詰を開けるために、缶切りをお願いする合図のことである。えっ何処での話ですかって。私がエリザベス女王から晩さん会に招かれた折に泊まった、スコットランドの宮殿の部屋での話です。

一時を過ぎたら、あの嵐は何だったのかと言うほどの秋晴れの空があった。二時半からみなとみらいにある歯医者に行ったが、野毛商店街の先の道路に、消防車や機動隊のバスが沢山止まっていた。何でも、伊勢山皇大神宮の下にある成田山の別本院の仮本堂が崩れ、お坊さんが下敷きになっているとのこと。家から出なかったから、どれほど酷かったのか実感がない分、驚いた。

そう言えば、携帯に横浜市から「避難勧告」のメールが入った。初めてのことである。「こちらは横浜市です。10月6日10時25分、帷子川、今井川の合流付近において、溢水の危険があるため、避難勧告を発令しました」。というもの。我が家は高台にあって、その二つの川からも離れているので、心配はないが、それでもちょっと驚いた。

こんな感じの、何だかんだで、一日が終わった。


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戸部の「角平」の「つけ天そば」。

2014-10-08 12:00:20 | インポート

十月五日(日)雨。

今日は、昨年亡くなられた大磯の小早川恒夫さんの一周忌。その一周忌に小早川さんを偲んでご自宅に有志が集い、食事会が行われた。私も誘われていて当初は出席予定だったが、事務所の入っているマンションの各部屋ごとに消防署の検査が入ると言うので、立ち会わなければならず、やむなく欠席した。

朝食後に、事務所に行き機関誌の印刷と校正。午後になって雨がひどくなったので模試を受けに行っている子供を迎えに行き、途中、戸部の蕎麦屋の名店である「角平」にて遅い昼食。このお店は、昭和二十五年に開店した。当時は高速道路やバイパスなどが無く、大磯の吉田邸に行くには国道を通って行った。昼時には、大磯詣でに行くのだろうか、それとも帰りなのだろうか、岸信介はじめ当時の自民党の重鎮が「角平」で撮った写真や、大野伴睦、岸信介、重光葵らの色紙も飾ってある。

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A3c56ae49f68eded0790039ea8fa41c21 ※写真は「はげまるさんのぶら~り日記」から拝借しました。感謝合掌。

このお店の名物は大きな海老がどーんと一匹、そばつゆの中に入っている「つけ天そば」。初めて連れて行った子供も驚いていた。二時過ぎだと言うのにお店はほぼ満席。群青の会の大熊雄次氏は「かも南蛮蕎麦」が好きだと言う。三時からは、つまみも作ってくれるので、そのうちに一杯やりに行ってみるか。

五時過ぎになってようやく機関誌「燃えよ祖国」の第二〇六号が完成。ホッとしました。夜は、見よう見まねで「キノコのアヒージョ」を作ってみたが、四〇点。


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