白雲去来

蜷川正大の日々是口実

イカはカラスの賊とか。

2013-02-19 20:35:45 | インポート

二月十九日(火)雨のち雪。

 五時半に起床したら、随分と寒い。朝刊を取に外に出たら、霙が降っている。どおりで寒いはずだ。いつものように午前中はパソコンに向かって、メールやフェイスブック、好きなブログのチェック、そして私のこの酔いどれ日記を更新したりと忙しい、いやこんなことで忙しいと言ったならば、堅気の衆に申し訳ない。

 

そう言えば北海道大学が、イカが海面を飛ぶ姿を、初めて撮影に成功したらしい。ユーチューブなどで見る事が出来るが、中々幻想的と言おうか見事と言おうか、まさかイカがトビウオのように海面を飛ぶとは思わなかった。

 

イカは漢字で書くと烏賊、すなわち「カラスの賊」と書く。これは中国の「南越志」によるもの。イカが水面にのんびりと浮かんでいると、カラスはイカが死んでいるものと思い、ついばみにくる。イカはそのカラスを十本の足で素早く足でからめとり、水中に引き込んで食べてしまう」。すなわちイカはカラスを賊害するから「烏賊」の字があてられた。最も、イカがカラスを餌にするとは聞いたことがないが、話としては面白い。

 

雪が激しくなった。野村先生の獄中句集「銀河蒼茫」の「冬の句」には、好きなものが多い。代表句はもちろんだが、「雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾」もいい。この句を読むと網走時代を思い出す。終電車の汽笛が風に乗って聞こえる。ふと「あああれに乗って行けば、帰れるのだろうな」と思ったりした。海老寝して聞いていた「釧網線」の汽笛の音が懐かしい。


自宅から見える、家の屋根が雪で白くなっている。そわそわして酒にしようかとも思ったら、試験で子供が昼過ぎに帰ってきた。夕方に塾に送って行かねばならず、迎えに行く六時半まで酒は飲めない。その頃には暗くなってしまって「雪見」どころではない。FBを見れば盟友の爆発五郎氏は早々と開いている店を見つけて一杯やっているらしい。

仕方がないから、夜は、昔ながらの湯豆腐でも作ろうとするか。「昔ながら」とは、アルミの鍋の中に、湯呑みを入れて、つけ汁ごと豆腐を温めるものだ。私は、湯豆腐に豆腐以外は入れない。昆布でダシを取って、大根をひとかけら入れるぐらいだ。こうするとなぜか豆腐がより白くふっくらとなる。

 


藤村和尚から頂いたキャベツでコールスローも作ったし、とっておきの「赤霧島」で寒い夜をしのぐとするか。

 


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横浜美術館でキャパ展を見た。

2013-02-19 13:03:26 | インポート

二月十八日(月)雨。

 朝から雨。午前中に、みなとみらいの歯医者に行ったので、終わってから横浜美術館にて開催されている「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家」展に行った。この横浜美術館に初めて行ったのは、随分前のことで「ガウディ展」だった。そんなことを思い出しながら、ランドマーク・タワーの中を歩いて行くが、ほとんど傘をささずに行くことが出来るので有難い。

 

このキャパの生誕百年を記念した「二人の写真家」展は、「文藝春秋」の新年特別号・創刊90周年記念号に、「キャパ」の著作のある沢木耕太郎氏が「キャパの十字架」と題して309枚ものドキュメンタリーを書いている。この原稿をもとにしてNHKでも特集を行った。その他、「週刊新潮」でもグラビアと福田和也氏の原稿が掲載され、産経新聞でも今月の17日の「美の扉」で見開きで特集されている。更に、キャパの名前をとった?写真専門誌「CAPA」でも特集を行っているのを知って購入した。友人の「不肖・宮嶋」氏が原稿を寄せていた。

 

キャパの「崩れ落ちる兵士」とピカソの「ゲルニカ」はスペイン内戦の象徴的なものとして知られている。そしてファシズムと戦う義勇兵のイメージは、第二次大戦のフランスのレジスタンスと共に、文学的な匂いをもって語られることが多い。そのスペイン内戦の是非や評価は別として、それまでキャパの作品と思われていたのが恋人のタローのものであったり、有名な「崩れ落ちる兵士」の写真の真贋が随分と話題になっている。

Photo※ピカソの「ゲルニカ」。私は、これをマドリッドのプラド美術館で見た。

 

その「真贋」の考証においては、沢木氏の原稿と、氏が出演したNHKの特集がとても良かった。最も私はキャパの研究家でもないし、写真の専門家でもないので、極めて情緒的に「二人のキャパ」の生き様や戦場の写真に興味があるだけだ。それ以上に、キャパに思い入れはない。ただ、そうした歴史的な写真展が、せっかく横浜の美術館で行われているのに無視しては、運動家として怠慢ではないかと言う思いがあったからに他ならない。

 

雨の月曜日とあって、人も少なく、ゆっくりと見ることが出来た。美術館や博物館などは静かであれば、それに越したことがない。周りの人に気を遣っていては鑑賞どころではない。ロビーで、横浜美術館がまとめた今回の写真資料と解説本、二冊組と、絵葉書を買った。いい時間だった。

Photo_2※キャパを有名にした「崩れ落ちる兵士」。この真贋が話題になっている。

 

その後事務所へ。元一水会の会員で、現在は北海道の田中清元氏のお弟子さんとして仏門に入っている藤村克宗氏より「越冬キャベツ」と言うものをご恵送頂いた。我が家の家族は、キャベツ好きなので、夜は、タンメンスープに頂いたキャベツをたっぷり入れた鍋にした。

 


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「イセぶら」は死語となった。

2013-02-19 11:13:42 | インポート

二月十七日(日)晴れ。

 いつまで寝てんの。と家族に起こされる。「また飲みすぎたんじゃないの」とは子供たちの言葉。それに対して私は、旧約聖書の箴言を引用して、こう諭した。「酒を心の傷める者に与えよ。彼飲みて貧しきを忘れ、またその悩みを思わざるべし」と。

 

言い終わったときは、私の周りに誰もいなかった。家族といてもむなしさを覚えるのはこういう時だ。というのは嘘で、元気に遅めの朝食。愚妻は、サリーズバー主催のボウリング大会に出席するので、友人のタラコちゃんと一緒に私が送って行った。私は、下の子供と、イセぶら。最近は、この「イセぶら」が死語になった。伊勢佐木町をぶらぶらして買い物をすることの略である。

 

有隣堂で本を買って、旧松坂屋の後にできたスーパーで買い物してから、ケンタでお茶。寒いけれど天気が良いし、子供と歩くのもいいものだ。子供たちが小さい頃は、この時期にお雛様を飾ったものだが、いつの頃からか飾らなくなった。お雛様の一番上にいるのが「お内裏ひな」。これは天皇、皇后の形をした人形である。


恐らく、共産党など皇室の否定論者でも女の子のいる家は、桃の節句にお雛様を飾るに違いあるまい。皆、知らずに両陛下を飾り、敬っているのだ。これが日本の心と言うもの。

 

夜は、子供たちを相手に、軽く飲んで、早めに寝た。


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訃報に墓参。

2013-02-19 10:37:41 | インポート

二月十六日(土)晴れ。

 二月は「如月」と書いて、なぜ「きさらぎ」と読むかは知らないが、「きさらぎ」の語源は「着更衣」と書き、「更に衣を重ね着する」ほどの寒さを言うらしい。正にその通りで、今日も晴れているのだが、風が強くて寒かった。

 

昨日の新聞の死亡通知欄に、東條英機元首相のお孫さんで、保守の論客として活躍していた東條由布子さんが十三日に亡くなられたとあった。二月の寒さに加えて、こういう報道に接すると、哀しさで心まで冷え冷えとしてくる。東條由布子さんと初めてお会いしたのは、確かな年月日は忘れたが、確か七、八年前の終戦の日の靖国神社だった。いつもの茶店で買い物をしていたら偶然に由布子さんが入って来て、ご挨拶をさせて頂いた。

 

その後、先生のお墓のある伊勢原の浄発願寺にて行われた「群青忌」に出席して頂いたり、様々な会合でお会いしたりと、ご活躍を微力ながら応援していた。まだ七十三歳であり、これからもっとご活躍を期待していたのに残念でならない。ご冥福をお祈りいたします。

 

また同じ死亡欄には、大映の俳優として一世を風靡した本郷功次郎さんが七十四歳で、そして岩波ホールの総支配人の高野悦子さんの死亡記事が掲載されていた。はなはだ不勉強で申し訳なかったが、それほど映画通ではないので、高野悦子さんと聞いて一瞬頭に浮かんだのが、その昔「二十歳の原点」でベストセラーになった彼女のことかと・・・。しかし、たしか彼女は、自殺したのではなかったか、と思って調べてみたら、当然別人だった。私の世代では、失礼ながら高野悦子と聞くと、イコール「二十歳の原点」を思い浮かべるのではないだろうか。ともかく合掌。

 

今日は、私の中学の先輩で、私が陸上競技を行うきっかけとなり、その後も随分仲よくさせて頂いた山崎邦雄さんのご命日。山崎さんは平成十年の今日、五十歳と言う若さで亡くなられた。一時期、一緒に運動をしていたり、山崎さんの勤めていたお店に遊びに行ったりと、思い出は尽きない。その山崎さんと縁のある人たちが、毎年命日の日に集まって、お墓参りに行き、偲ぶ会を催している。

 

1※右が山崎さん。左は私。昭和三十八年、中学一年の時。私が着ているセーターのワッペンは、翌年の「東京オリンピック」の協賛のもの。

 

二時に、尼野保、山崎雅夫、水原広雅、N氏に迎えに来て頂き、山崎氏のお墓へ向かう。お墓には、すでにお花があった。ご家族の方が来たのだろう。私たちもお花を供して手を合わせた。

Dscf5401※山崎さんのお墓の前で。


その後は、尼野保氏の経営する地下鉄吉野町駅の上の小料理「一銭」にて直会。途中から、清和崇氏やカメちゃんらも合流。しばらく飲んでから、「やまと」に転戦したらしいが、全く記憶がない。


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