白雲去来

蜷川正大の日々是口実

連句会へ。

2015-12-09 10:17:02 | 日記
十二月二日(水)雨後曇り。

六時に起床。家族が出かけてからのんびりと朝食。好物のサバの文化干し、納豆に永谷園のマツタケのスープ。考えてみれば、一体なぜ「文化干し」なのだのだろか・・・。調べてみたらこうあった。
「文化干しとは、元は魚の干物をセロファンで包み込む手法。後に天日干しの対義語として冷温風機を用いた乾燥手法の意味を持つに至る。干物の包装材として木箱や新聞紙を用いていた時代、東京都江東区にて1950年創業の水産加工物会社「東京仙印商店」がセロファンに包んでみたところ、非常に仕上がりの見栄えが良くなり、これを販売したのが最初とされている」。ナルホド。とにかく社友の斉藤義一さんの郷里千葉産の物が美味しい。

夜は、久しぶりに先輩の花房東洋氏や頭山興助先生らが主宰している「連句会」が「赤坂茶寮」にて開催され出席。この会は、二十年ほど前に赤坂の「たか井」という料亭で隔月に開催されていた。「たか井」の閉店や「さばき」をしていた水野先生が亡くなられたりして一時中断していたが、最近再開した。以前から誘われていたのだが、スケジュールの都合がつかずに、今回が初めての出席となった。

連句とは、形としては連歌の様式を踏襲して、五七五の句の後に七七の句を、さらに五七五・・・と交互に付けていき、三十六句(歌仙)、五十句(五十韻)、百句(百韻)等よりならしめ、総数の違いで数十種に別して名称がある。という風流なアソビである。今日の「さばき」の藤井厳喜先生の「顔ヅケ」で、私のくだらん句が一つ選ばれた。汗顔の至りです。終了後は、同じ席で忘年会。四宮正貴、市村清彦の両先生や『月刊日本』の坪内孝彦さん、そして鎌倉の菊岡ノンコさんなど知った顔も何人か参加していた。

その後、花房先輩のお世話にて、赤坂見附駅近くのお店に転戦。その昔、野村先生の事務所が赤坂の「みすじ通り」にあった頃は、毎日その駅を利用していたが、本当にこの周辺に来るのは久しぶりのことだ。カラオケに興じて十一時過ぎに失礼した。写真は、赤坂のお店にて。坪内氏、花房先輩、蜷川、花房先輩のお嬢さんと。

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