白雲去来

蜷川正大の日々是口実

新宿を二往復。

2015-12-10 12:32:53 | 日記
十二月四日(金)曇り。

午前中に、松本、横田の両君来訪。十時過ぎよりお世話になっている方々への暮のあいさつ回り。昼過ぎに新宿の区役所通りの近くの「広州市場」というワンタンメンの専門店に行く。ここのお店のワンタンが好きで、新宿に行くと必ず寄るようにしている。早く横浜に支店が出来ないかといつも思っている。野村先生の奥さんの家が最後で横浜に戻るが、すぐに再び新宿行き。

新宿の焼肉店で国防同志会の忘年会があり出席。初めて行く店だが、何と社長さんとは三十五年も前に、友人を通してお会いしたことがある方で、お互いにその奇遇にぴっくりぽん。料理も最高で、久しぶりに美味しい肉を堪能した。

九時前に岸谷聖一氏と横浜に戻る。新宿を二往復か・・・。かなり疲れた。

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冬の日の雨は嫌だなぁー。

2015-12-10 11:16:18 | 日記
十二月三日(木)雨。

冬の雨は嫌だなぁー。寒いし、寂しいし、布団の中で雨の音を聞きながらウトウトする気にもなれない。いつまでも寝ているわけにも行かないので、ヨッコラショッと起き出して朝食。大き目の紅鮭の頭を焼いて食べるが適度に塩辛くご飯に合う。いつもならば盟友から送って頂いている命の水、「タピポ」という健康茶を冷やして飲むのだが、さすがに今朝は温めた。午前中に来訪者の予定があるので今日は一日自宅で籠城のつもり。

私の好きな漢詩人に高適、王昌齢と共に辺塞詩詩人として有名な岑参(七一五年-七七〇年)がいる。長く節度使(唐代の玄宗のときに置かれた各地方の防衛をするために置かれた役職)の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった七五七年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その十月には粛宗に従って長安に赴く。七六八年、官を辞して故郷に帰ろうとしたが途中で反乱軍に阻まれて成都にとどまり、その地で没する。享年五十六。戦地にあること十余年、その詩は悲憤慷慨するところあり、著に『岑嘉州集』七巻がある。(『唐詩選』より)

有名な詩は、「君不聞胡笳聲最悲・君聞かずや胡笳(こか=中国古代北方民族の胡人が吹いたという、葦の葉で作った笛の声) 最も悲しきを 」で始まる「胡笳曲送顔真卿使赴隴西・胡笳の歌 顏真卿の使ひして 河隴に赴くを 送る」であるが、この時期になると「玉門寄長安李主簿=玉門にて長安の李主簿に寄す」を思い出す。

東去長安萬里餘 東のかた長安を去ること萬里餘(ばんりよ)
故人那惜一行書 故人那(なん)ぞ惜しむ一行の書
玉關西望堪腸斷 玉關(ぎょくかん) 西望(せいぼう)すれば腸(はらわた)斷(た)つに堪(た)えたり
況復明朝是歳除 況(いわ)んや復(ま)た明朝(みょうちょう)は是(こ)れ歳除(さいじょ)なるをや

現代訳は、
東の長安から一万里も離れた玉門関までやって来てしまいました。
昔なじみの友はどうしてわずか一行ばかりの手紙さえ惜しんでくれないのだろうか。
ここ玉門関から西の方を望み見ると、はらわたが断ち切れる思いがします。
まして、明朝は大晦日なのだからなおさらです。

玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、玉門関の西は国外となる。そこから見える風景は荒涼たる風景が広がっており、見ているだけで旅愁をかきたてられる。まして明朝は大晦日であるからなおさらである。ここまで極端な僻地ではないが、随分前に私も北の果ての地でそんな思いをした年末を何度か迎えたことがある。『唐詩選』と野村先生の『銀河蒼茫』を励みとして読んだ日のことが懐かしい。

夜は、「スンドウブチゲ」と松原商店街の「魚孝」でマグロを買ってきて酔狂亭で独酌。

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