白雲去来

蜷川正大の日々是口実

炎の警鐘事件から61年。

2024-07-18 16:43:55 | 日記

7月15日(月)海の日。晴れ。

今から61年前の今日、野村先生が同志と共に時の建設大臣、河野一郎の新築されたばかりの総ヒノキ造りの私邸を放火、全焼させた所謂「炎の警鐘事件」の日である。先生は、この事件により12年を獄中に過ごす。先生に聞いた話だが、横浜の拘置所から既決となり千葉刑務所に移送されたときに、三人の囚人と共に面接を受けたそうだ。その時、刑務官の一人が「一人短いのがいるな」と書類に目を通したそうだ。野村先生は、誰だろうと思ったら、刑務官が「野村、お前だよ」。後の二人は無期囚だった。改めてこの刑務所が長期刑務所であることを実感したそうだ。

事務所の資料を整理していたら貴重な冊子が出てきた。まず野村先生が、河野邸焼き討ち事件にて戦線に復帰した(昭和50年)直後に、先生の友人の末次正宏氏が主宰していた綋友会が発行した『人の一生は邂逅の一語に尽きる』という小冊子。奥付を見ると昭和50年10月1日の発行となっている。もう一冊は、自民党の稲葉修と蔵内修治の両氏が河野一郎建設大臣を擁護するために出した『河野建設大臣に関する怪文書を駁す』。興味深いのは、この冊子の奥付には、わざわざ「昭和38年7月16日(河野邸放火事件の翌日)」と書かれていて、河野陣営の狼狽ぶりが窺える。ちなみに河野一郎は河野太郎の祖父である。吉田茂と河野一郎の不仲は有名で、本当かどうかは分からないが、こんなエピソードが残っている。野村先生らの事件があった当日、三木武夫が大磯の吉田邸を訪ねた。余りにも吉田の機嫌が良く、終始にこにこしていた。三木がなぜ機嫌がよいのか聞いてみると、吉田は「君、知らんかい。今、河野の家が燃えているんだよ」と答えたそうだ。

 

 

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