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3月16日(木)晴れ。
午前中に、井土ヶ谷駅近くのハンバーガーショップで友人とお茶。食欲がなかったが薬を飲む関係もあり「ココ壱番屋」でカレー。クリームコロッケをトッピング。夕食は、キャベツと豚肉炒め、白滝ときゅうり、ハムの和え物、ゴボウの天ぷら。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
自宅の書棚で探し物をしていたら、何処にしまったのか分からずにいた「電報」を偶然見つけて安堵した。その電報と言うのは、河野邸焼き打ち事件にて千葉刑務所に在監中の野村先生に宛てたもので、「ミカミセンセイシキョスイサイフミニテ」。三上卓先生の秘書であった青木哲先生から野村先生酢に宛てた三上先生の訃報を知らせる昭和46年10月26日の消印のあるもの。
携帯のメールやラインなどが普及している今日では、電報はあまり使われなくなった。確か字数が料金に反映するので簡略な言葉が使用された。「イサイフミニテ」は、「委細は文(手紙)にて」という意味である。ちなみに電報にある「ウナ」とは「ウナ電」の事で、「至急電報」のこと。 通常の電報の2倍の料金で、夜でもすぐに配達してくれた。 三上先生の逝去を知った野村先生は、「三上卓先生死去の報に接す、五句」として、
不覚なる涙が菊に散りにけり
白菊の白が溢れてとどまらぬ
傷痕の深き山河の露しぐれ
白露の玉が砕ける顔に手に
轟然と秋の落日宙にあり
平成五年、野村先生の本葬儀の際、私がお願いして、葬儀場の入り口に「白菊の白があふれてとどまらぬ」の句を掲げさせて頂いた。