1月29日(日)晴れ。
私の「物を書く」ことの最初は一水会の機関紙『レコンキスタ』である。昭和62年の「住友事件」にて東京拘置所に座っている時のこと。その思いを『レコンキスタ』に何度か書かせて頂いた。野村先生らの「経団連事件」、私たちの「住友事件」を積極的に支援と支持をしてくれたのも、鈴木、阿部、犬塚と言った初期一水会の先輩たちで、どれほど勇気づけられたかは、言葉では言い表せない。当時、私と同じ東拘の屋根の下にいた、連合赤軍の植垣康博さんや、「ロス疑惑」の三浦和義さんを「そこの大先輩なのだから、色々と教わって下さい」と紹介して頂いたのは鈴木さんだった。それが縁となり、私が戦線復帰すると、遅れて植垣、三浦の両氏も社会復帰。以後、野村先生の追悼祭「群青忌」には、必ず出席してくれるようになった。しかし、その三浦和義さんは2008年に亡くなられ、植垣さんは、脳梗塞で倒れ、現在社会復帰を目指してリハビリ中と聞く。一日も早いご快癒を願うばかりである。
鈴木さんの数多の著作物の中では、初期の頃の、『腹腹時計と狼』『行動派のための読書術』『証言・昭和維新運動』『新右翼・民族派の歴史と現在』『遺魂-三島由紀夫と野村秋介の軌跡』などの本が印象深く、現在も書棚にある。
鈴木さんの思想的な軸が何か、左にブレているような発言が多くなったのは何時頃からだったのだろうか。それは、鈴木さんの信念に基づいての考えや発言だったのだろうが、偏狭な私は、失礼ながら、それが鈴木さんの「進化?」ではなく、「変節」としか思われなかった。過去の、戦闘的な日本主義者であった頃の鈴木さんを知っているだけに、申し訳ないが、発言や文章に、嫌悪を感じたのも事実である。ー続くー