二月二日(月)晴れ。
若い頃には、良くこんな物にお金を払って食べるな。と思うことがままあった。例えば蕗の薹やこごみ、タラの芽などである。それが歳と共に、それらのエグミや渋さが美味に感じるから不思議なものだ。フキの花のつぼみが「蕗の薹」である。二十年以上も前に網走の「切り通し農場」という所で作業をしていたことがあった。早春、といっても三月に入ってからだが雪解けの頃に蕗の薹が、わーっと叫びたくなるほど顔を出しているのを見たことがあった。当然、取って食べることなども出来ないのだが、しばらくすると三十センチぐらい大きくなっていた。「薹が立つ」とはこう言うことかと実感した。まあそれでも、好んで食べるほど好きではないが。
蕗の薹と言うとすぐに頭に浮かぶのが、横浜に縁のある女流俳人の中村汀女の句。横浜の野毛山公園という所に「蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛」という汀女の句碑がある。汀女は大蔵省官吏の夫と昭和五年から西戸部町の税関官舎に住み結婚後に中断していた句作を再開した。汀女には横浜を詠んだ句が多いことでも知られている。随分前に「横浜の句碑」というような本を出そうかとも思ったことがあって、資料を随分集めたが、挫折したままだ。
昼過ぎに事務所に行って機関誌の丁合(頁を揃える)作業を行った。私の機関誌の名がまだ「大悲ジャーナル」だった頃、丁合を手作業で行った。暇な友人や門下生に手伝って貰って頁を揃えるのだが、これが中々大変でいつも皆の手を煩わせた。その丁合が終わっても中綴じ、中折りのすべてが手作業で行った。機関誌を発行するという情熱が毎月その手作業を後押ししてくれた。今は、その丁合も中綴じ、中折りも皆機械化された。後は、宝くじでも当たったら、軽印刷機ではなく本物のオフセット印刷機と製本機を導入してみたい。まあ夢ですが。
後藤健二さんが砂漠の盗賊に殺害される映像を目にした。もし私だったらあのように従容として死ぬことが出来ただろうかと、考えた。恐らくジタバタして醜い行動をしたのではないか・・・。大したものだと思う。人が決断をせまられたり、最後の場面。あるいは進退きわまった状態
の時のことを「土壇場」という。その「土壇場」とは、首切りの刑を行うために築いた土の壇が語源となっている。せめて土壇場でジタバタしないようにしたいものだ。
夜は、今日も酔狂亭で月下独酌。「マッサン」の影響か今日は、「角瓶」をソーダーで割って飲んだ。
若い頃には、良くこんな物にお金を払って食べるな。と思うことがままあった。例えば蕗の薹やこごみ、タラの芽などである。それが歳と共に、それらのエグミや渋さが美味に感じるから不思議なものだ。フキの花のつぼみが「蕗の薹」である。二十年以上も前に網走の「切り通し農場」という所で作業をしていたことがあった。早春、といっても三月に入ってからだが雪解けの頃に蕗の薹が、わーっと叫びたくなるほど顔を出しているのを見たことがあった。当然、取って食べることなども出来ないのだが、しばらくすると三十センチぐらい大きくなっていた。「薹が立つ」とはこう言うことかと実感した。まあそれでも、好んで食べるほど好きではないが。
蕗の薹と言うとすぐに頭に浮かぶのが、横浜に縁のある女流俳人の中村汀女の句。横浜の野毛山公園という所に「蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛」という汀女の句碑がある。汀女は大蔵省官吏の夫と昭和五年から西戸部町の税関官舎に住み結婚後に中断していた句作を再開した。汀女には横浜を詠んだ句が多いことでも知られている。随分前に「横浜の句碑」というような本を出そうかとも思ったことがあって、資料を随分集めたが、挫折したままだ。
昼過ぎに事務所に行って機関誌の丁合(頁を揃える)作業を行った。私の機関誌の名がまだ「大悲ジャーナル」だった頃、丁合を手作業で行った。暇な友人や門下生に手伝って貰って頁を揃えるのだが、これが中々大変でいつも皆の手を煩わせた。その丁合が終わっても中綴じ、中折りのすべてが手作業で行った。機関誌を発行するという情熱が毎月その手作業を後押ししてくれた。今は、その丁合も中綴じ、中折りも皆機械化された。後は、宝くじでも当たったら、軽印刷機ではなく本物のオフセット印刷機と製本機を導入してみたい。まあ夢ですが。
後藤健二さんが砂漠の盗賊に殺害される映像を目にした。もし私だったらあのように従容として死ぬことが出来ただろうかと、考えた。恐らくジタバタして醜い行動をしたのではないか・・・。大したものだと思う。人が決断をせまられたり、最後の場面。あるいは進退きわまった状態
の時のことを「土壇場」という。その「土壇場」とは、首切りの刑を行うために築いた土の壇が語源となっている。せめて土壇場でジタバタしないようにしたいものだ。
夜は、今日も酔狂亭で月下独酌。「マッサン」の影響か今日は、「角瓶」をソーダーで割って飲んだ。