白雲去来

蜷川正大の日々是口実

自宅に戻った。

2009-04-21 08:06:31 | インポート

四月十八日(土)晴れ。

 六時起床。酒を飲んでいないので、早寝早起きだ。起床後少し散歩をした。鶯の鳴き声を聞きながら、新緑の中を四十分ほど歩いた。今日は、退院して自宅に帰る。体調はマアマアだ。朝食の後にお世話になった方々にご挨拶をして、電車で帰路に着いた。

 迎えの車で、久し振りに事務所へ。私の机の上には、ものすごい量の郵便物がある。少々ゲンナリするが、嬉しいものも沢山ある。獄中に坐す同志からの手紙や、書籍の注文のま手紙などだ。結局、六時過ぎまで事務所で仕事をした。

 夜は、家族揃って食事。胃が小さくなっているのだろう、ご飯を少し食べただけで満腹感がある。いつまで続くのか・・・。体重も五キロほど落ちた。疲れたのだろうか、十時過ぎには、布団に入った。やはり自分の布団が一番いい。


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「患う」ということは「心に串が刺さること」

2009-04-20 07:25:17 | インポート

四月十七日(金)曇り。

  六時に目が覚めてしまった。朝食は、うどんである。当然ながら、禁酒六日目。声のかすれもいくらか良くなったようだ。午前中の診察を終えると、後は、何もすることがない。お陰さまで、読書、原稿書き、持ってきたDVDなどが、はかどる。考えてみれば贅沢な日々を過ごしているのかもしれない。

  体調を崩して初めて分かるが、元気で酒が飲める日々を有難く思う。

ここの先生から、「患う」ということは、読んで字のごとく、「心に串が刺さった」状態であると。ナルホド。また、健康を維持するには、なるべく旬のものを食べなさいとも言われた。旬のものには、これから大きくなろうとするエネルギーがたくさん詰まっている。その旬の物の「気」も一緒に味わい、栄養となる。

  コンビニなどでは、なるべくカタカナの物を食さない。例えば、「スパゲティー、ハンバーグ、フライドチキン」といった物。カロリーが高いし、添加物も多い。

体に悪い、と言われている物が、好物なのは、私だけではあるまい。

  明日は、一週間ぶりに自宅に戻る。

退院しても、「あと一週間は、酒を抜くように」と、キツク言われていますので、その忠告に従うつもりです。これ以上、心に串が刺さらないためにも。

  「新潮との問題が片付いていないからと」私が、不在の間、連日、警備を行ってくれた松本佳展君や大悲会の若い人たち、社友会の人たちに、感謝申し上げる次第です。


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続、週刊新潮の謝罪記事検証・敗軍の将、兵を語らず。

2009-04-18 07:19:21 | インポート

四月十六日(木)晴れ。

 ちょっと外を歩くと、まだ鼻がムズムズし、目がかゆい。この花粉症はいつ治まるのだろうか。

今日も、午前中に治療。午後からは何もすることがなく、読書に原稿書き。もう五日も酒を飲んでいない。その意味では、たまの入院もいいかもしれない。

 週刊新潮をコンビニで買った。最近、「新潮」とか「島村」とか言う文字を見ると、イラッとする。

 今日も、マスコミ関係者から電話やメールを沢山頂いた。そのほとんどが、「御苦労さま」の慰労の電話。有難いことだ。

 

 週刊新潮の「謝罪・検証記事」に関して、朝日新聞はもちろん、産経、読売、毎日(東京は手に入らなかった)の各新聞でも、新潮社の謝罪・検証記事を取り上げている。皆、一様に「謝罪記事」に批判的である。

当然であろう。週刊新潮の「謝罪記事」をいくら読んでも、「言い訳」だけが印象に残り、「お詫び」と「反省」の誠意が全く感じられない。

「検証」に名を借りた「言い訳」をダラダラ書くよりも、まず最初に、読者、実名を挙げてしまった関係者、そしてマスコミ全体に対して、真摯なる「反省」と「お詫び」をすることが信頼回復への第一歩、ということを諭す役員がいないのだろうか。つくづく世間の「常識」というものが、通じない人たちだという印象を強くした。

 

 「騙された」ということは、「無知でした」と世間に公言しているようなものだ。

 厳しい言い方をすれば、たとえ、百パーセント島村に騙されたとしても、その責任の所在は取材班はもとより、その記事を四回にわたり掲載した新潮社にあることは言うまでもない。そういった責任感がなくして、社会の木鐸、公器としての使命を果たせるのだろうか。

自らの不明を省みずに、「情報提供者」として信じた、島村に全責任をなすりつけるなどと言うことは、男らしくない。

敗軍の将は兵を語らずー。

 そういった空気の読めない人たちだから、あんなダラダラした文章を掲載したのだろう。

 今回の新潮社に対する抗議の成果は、犬塚哲爾先輩の言葉をお借りすれば、「無血・完全勝利」であろう。

しかし、個人的にいえば、本日発売の「週刊新潮」の「謝罪・検証記事」の中に、児玉、野村両先生に対する謝罪の文字がなかったことは、残念であった。

 

 野村先生のことに関しては、先生の知人の会社社長の証言があって、島村証言の裏付けとなり「信用した」と、我々の抗議の際にも、今回の記事の中にも書いてある。

その会社社長が誰であるかを、我々は質したが新潮社は、我々に黙して語らない。おそらく、これも「虚言」に違いあるまい。こういった新潮社に対する不信感はぬぐえないが、それでも、いつまでも戦いを続けていれば消耗するだけだ。

 なぜ、週刊新潮があれほど大金を使ってガードした島村が、証言を翻し、他社に「虚言」の真相を話すに至ったのか・・・。近々、弊社の機関誌「燃えよ祖国」にて、「新潮社との戦い・特集号」を発行予定です。

 

 御協力とご支援を頂いた方々、特に、北海道の同志諸兄にはお世話になりました。在京の諸先生、諸先輩、情報を提供して頂いたマスコミの皆さんに衷心より厚く御礼を申し上げる次第です。

 

コメント (1)
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週刊新潮の謝罪記事を検証する。

2009-04-17 11:39:35 | インポート

四月十五日(水)晴れ。

  昨日とはうって変わって良い天気である。午前中は治療。午後からはのんびりと読書。

  夕方近くに、知り合いの記者から、明日発売になる「週刊新潮」の謝罪記事の早刷りをメールで送って頂いた。最近は、便利で、十頁もの分量でもPDFで取り込み、そのまま送信できる。ファックスだと、どうしても字がつぶれて読みにくいが、PDFならばその心配はない。まして今いるのは自宅ではないのでファックスは無理だ。

また、パソコンの環境が良いので、ランケーブルがなくともインターネットがつながる。

  早速、週刊新潮の謝罪記事に目を通した。

  私の第一印象は、「言い訳に終始し、見苦しい」「往生際が悪い」というものだった。そのタイトルが笑わせる。「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」というもの。これでは、まるで新潮社が被害者のようではないか。

  冗談ではない。しっかりした裏付け取材もせずに、証言をそのまま掲載したヨタ記事を読まされた、読者はもとより、事件に関係あるような嘘を書かれた児玉、野村両先生のご遺族とその関係者こそ被害者ではないのか。しかも、今回の謝罪記事の中には、児玉、野村両先生に対する謝罪の言葉が一行もない。

「どうして騙されたのか」という検証も確かに大事であり、「虚報」(私は、絶対に「誤報」ではなく「虚報」と思っている)を四週にわたって掲載したことの経緯を説明するのは当然のことである。しかし、その前に、読者、児玉、野村両先生のご遺族や、それに連なる方々に紙面で謝罪することの方が先ではないか。お前らに何のメンツがあるというのだ。事の重大さが分かってないようだ。

  私は、子供のころに、母から「お礼と、お詫びは、早い方が良い」と教わった。以来、そのことを肝に銘じている。新潮の社長のお里が知れる、と言われても仕方がない。

  新潮側は、私達、抗議団と面談した際に、「島村に対して金銭の提供は一切ない」と公言した。

 しかし、謝罪記事の中で、新潮は「手記を掲載すれば原稿料が発生するのは当然のことであり、源泉徴収も行っている。四回の連載で一回二十万円(十万円は「新潮45」)」が高いかどうか、調べれば、すぐ答えはわかったはずだ」と書いている。

冗談ではない。「高いか、安いか」といった問題ではない。原稿料だろうが、何だろうが、「金銭の提供」には変わりがない。

それならそうと、なぜ、そういう説明を我々の前でしなかったのか。

やましい気持ちがあったから、と受け止められても仕方がない。

 私は、今回の新潮社の謝罪、検証記事に関することは、正直言って、細かい部分を除けば、ほとんど知っていた。

有難いことに、他社の記者の方はもとより、

「あんな危ない記事を書いて、あいつらは新潮を潰す気か」という良識ある新潮の内部の方からの情報の提供にも助けられた。

私が接触した記者や、知り合いのマスコミの方々、あるいは新潮の内部の人たちも一様に、「新潮の大スクープ」は、「島村と取材班とのマッチポンプ、すなわち『捏造』である可能性が強い」との感想を持っている。

 正直言って、新潮が「騙された」などと思っている者は、新潮の取材班以外に皆無に等しい、と言っても過言ではない。

 長くなるので、明日、続きを書くことにします。


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馬鹿と阿呆の絡み合い。どこに男の夢がある。

2009-04-15 17:44:58 | インポート

四月十四(火)雨。

  午前中は曇り空で、いまにも泣きだしそうだったが案の定、午後になって雨が激しくなった。わが陋屋は風雨が激しいと雨漏りがするので、チョット心配である。

 

 今日発売の「週刊朝日」を読んだ。

案の定、「週刊新潮」と島村征憲の間で泥仕合になっている。新潮社の方は、何とか島村を他社から隠そうと様々な手を使ったようだ。面白かったのは、「文春」が、島村の元の女房と面談したときに、新潮から依頼されて、文春とのインタビューを録音して、その謝礼を貰ったこと。あるいは、

「俺に内密で北海道の家族と相談し北広島市(北海道)に2LDKのマンションを用意した。二年契約で『家賃、敷金、礼金はすべて新潮社が払うので、二十年以上前に別れた元妻と二人で一緒に住んではどうか』と強引に勧めてきた」

島村の元の妻がパートで月に八万円程度稼ぐので、それも新潮社が保証する、との話だったようだ。

 正に、これが本人しか知りえない「秘密の暴露」ではないか。

われわれの抗議の前に、あれほど大見得を切ったくせに、何だ、この体たらくは。

 

 私は、新潮社との対面の時に、編集長やデスクの前で、

「もし、私の抗議が『言い掛かり』や、『根も葉もないこと』であり、島村の言う通り、野村先生が、本当にそんなことに関わっていたのならば、門下生として、二十一世紀書院は解散し、私自身も民族派運動から引退する」とキッパリと言った。

 さらに、

「では、もしガセだったら、あなた達はどうするのか」と、言った所、

「あの記事には、決して間違いはありません」と、言いきったではないか。

 

 島村は、野村先生のことに関して、「俺は、野村さんの名前は出していない。新潮が勝手に書いて右翼を怒らせ、えらい目に遭った。それで新潮の担当記者は最初、『ほとぼりが冷めるまで台湾に行けばどうか』と俺のパスポートを取ってくれた」と、言っている。

いくら今回の新潮社の取材班がアホでも、そこまでは、しないだろう。島村と直接会った記者たちが声を揃えて「虚言癖」を指摘するように、これは島村の「逃げ」に違いない。

 鶴田浩二の歌ではないが、

 馬鹿と阿呆の絡み合い。どこに男の夢がある。

新潮社の社歌にしなさい。


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