四月十六日(木)晴れ。
ちょっと外を歩くと、まだ鼻がムズムズし、目がかゆい。この花粉症はいつ治まるのだろうか。
今日も、午前中に治療。午後からは何もすることがなく、読書に原稿書き。もう五日も酒を飲んでいない。その意味では、たまの入院もいいかもしれない。
週刊新潮をコンビニで買った。最近、「新潮」とか「島村」とか言う文字を見ると、イラッとする。
今日も、マスコミ関係者から電話やメールを沢山頂いた。そのほとんどが、「御苦労さま」の慰労の電話。有難いことだ。
週刊新潮の「謝罪・検証記事」に関して、朝日新聞はもちろん、産経、読売、毎日(東京は手に入らなかった)の各新聞でも、新潮社の謝罪・検証記事を取り上げている。皆、一様に「謝罪記事」に批判的である。
当然であろう。週刊新潮の「謝罪記事」をいくら読んでも、「言い訳」だけが印象に残り、「お詫び」と「反省」の誠意が全く感じられない。
「検証」に名を借りた「言い訳」をダラダラ書くよりも、まず最初に、読者、実名を挙げてしまった関係者、そしてマスコミ全体に対して、真摯なる「反省」と「お詫び」をすることが信頼回復への第一歩、ということを諭す役員がいないのだろうか。つくづく世間の「常識」というものが、通じない人たちだという印象を強くした。
「騙された」ということは、「無知でした」と世間に公言しているようなものだ。
厳しい言い方をすれば、たとえ、百パーセント島村に騙されたとしても、その責任の所在は取材班はもとより、その記事を四回にわたり掲載した新潮社にあることは言うまでもない。そういった責任感がなくして、社会の木鐸、公器としての使命を果たせるのだろうか。
自らの不明を省みずに、「情報提供者」として信じた、島村に全責任をなすりつけるなどと言うことは、男らしくない。
敗軍の将は兵を語らずー。
そういった空気の読めない人たちだから、あんなダラダラした文章を掲載したのだろう。
今回の新潮社に対する抗議の成果は、犬塚哲爾先輩の言葉をお借りすれば、「無血・完全勝利」であろう。
しかし、個人的にいえば、本日発売の「週刊新潮」の「謝罪・検証記事」の中に、児玉、野村両先生に対する謝罪の文字がなかったことは、残念であった。
野村先生のことに関しては、先生の知人の会社社長の証言があって、島村証言の裏付けとなり「信用した」と、我々の抗議の際にも、今回の記事の中にも書いてある。
その会社社長が誰であるかを、我々は質したが新潮社は、我々に黙して語らない。おそらく、これも「虚言」に違いあるまい。こういった新潮社に対する不信感はぬぐえないが、それでも、いつまでも戦いを続けていれば消耗するだけだ。
なぜ、週刊新潮があれほど大金を使ってガードした島村が、証言を翻し、他社に「虚言」の真相を話すに至ったのか・・・。近々、弊社の機関誌「燃えよ祖国」にて、「新潮社との戦い・特集号」を発行予定です。
御協力とご支援を頂いた方々、特に、北海道の同志諸兄にはお世話になりました。在京の諸先生、諸先輩、情報を提供して頂いたマスコミの皆さんに衷心より厚く御礼を申し上げる次第です。