白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あす発売の「週刊朝日」が楽しみである。

2009-04-14 17:13:01 | インポート

四月十三日(月)晴れ。
  六時半に目が覚めてしまった。
外は明るいし、もう鶯が鳴いている。八時から治療である。喉が炎症を起こしているのだろうか、鼻から内視鏡を入れられるのがとても辛い。すぐにゲェーっとなってしまう。午前中は様々な検査を済ませた。午後は、全く何もやることがないので、パソコンで、「愛国戦線」に掲載されている野村先生の原稿を打ち込んだ。夜になってから、私の機関誌用に「白雲去来」を校正。何しろ全文掲載すると一ヶ月で一冊近い分量になってしまうので、泣く泣く文章を削ってゆく。これが中々つらい作業だ。

  夜、テレビをつけたら川島芳子のドキュメンタリーをやっていた。途中から見たので、後半部分しかわからないが、川島芳子の生存説で芳子に育てられてという中国人の女性が証言に基づいて構成されていた。かなり凝った出来だが、私は、川島芳子の生存説には否定的である。週刊新潮の実名報道以来、何かドキュメンタリーというものを、あまり信じられなくなったようだ。まあこれは冗談だが、比較的良く出来た番組だったと思っている。

  知り合いの「週刊A」の記者氏によると、例の島村がヒドイことになっているらしい。今の段階では、これ以上のことは書けないが、火曜日発売の「週刊朝日」に、新潮と島村に関する、驚くような記事が掲載されるようだ。木曜日には、新潮側の検証記事も出るとのこと。さあ、Kデスクと島村との「仲良し」から「仲たがい」の細部まで他社に知られてしまった以上、どんな言い訳をするのか今から楽しみでもある。それにしても、北海道の全日空ホテルのスゥイートを提供するとは、随分景気が良いですなぁー。その金で、取材を徹底していたならば、こんなことにならずに済んだかも知れないのに。
 さあ岐阜の細川先生ご推薦の、「猛牛と呼ばれた男」でも読んで寝るとするか。アッこの本も新潮社だ。


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昭和56年の「愛国戦線」に野村先生の原稿があった。

2009-04-13 09:28:43 | インポート

四月十二日(日)晴れ。
  今日の夕方から一週間ほど検査入院の予定なので、朝食後はその準備。準備と言っても着替えなどの荷づくりはすでに済んでいるので、もっぱら仕事の準備である。
自宅のパソコンから、モバイルにデーターを移したり、機関誌用の原稿をスキャニングしたりと、午後一時過ぎまでかかってしまった。
  「関内桜祭り」の手伝いをしているサリーファミリーのところまで家族を送り、三時過ぎに電車に乗って某所へ。ここの所、声がかすれて仕方がない。平成三年に、喉の手術をしているので、また再発すると嫌なので、岐阜の細川先生に電話で問診。もう少し続くようだったら、本格的に検査してもらうことにした。
 

  先日、民族革新会議の山口申先生から、昭和五十七年発行の「愛国戦線」と、大日本生産党の機関誌「民族公論」を十冊ほどご恵送頂いた。
その当時は、それらの機関誌に加えて「青年群像」や「興論」「新勢力」といった刺激的かつレベルの高い機関誌が月刊で発行されていた。
現在、私は、「大吼」の編集を任されているが、その編集の根底にあるものは、前述の機関誌である。かつての「改正商法」の結果、それらの機関誌のほとんどが廃刊に追い込まれていった。最近、「民族公論」のみが再刊された。
  山口先生から頂いた「愛国戦線」の昭和五十六年の九月号(一四八号)に、野村先生の「新右翼の擡頭を熱望す!」という文章があった。昭和五十六年と言えば、野村先生が、その四年前の三月三日に同志らと、財界の経済至上主義を撃つ、として経団連会館を襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」を惹起し、府中刑務所に下獄中であった。ご夫人経由で編集部に届いたことが末尾に記されていた。弊社の機関誌で是非紹介してみたい。

  また、昭和五十七年のは十月号には、山平重樹氏の原稿「昭和維新運動の原点―猶存社」が掲載されていた。今から二十七年も前のものである。昨日、山平氏にお会いした際に、転載をご了承いただいた。一週間、酒を抜いて治療に専念するか。

コメント (1)
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同志の還暦祝いに出席。

2009-04-12 12:33:24 | インポート

四月十一日(土)晴れ。同志の還暦祝いに出席。

 午前中からバタバタだった。明日から一週間検査入院で留守をするので、その準備や、原稿書き、機関誌の準備などに追われた。ジャージの新しいものがないので、久し振りに「マイカル本牧」に出かけたが、気に入ったものが無いので、無駄遣いをせずに戻った。

 今日は、六時から新宿の居酒屋で、長いお付き合いをさせて頂いている、鹿島政晴、近藤勢弌、若島和美の諸氏の還暦の祝いがある。呼びかけ人は、秋山一成、水谷浩樹、丸川仁の諸氏。案内状を頂いた時の感想は、「へぇー」というもの。鹿島氏は失礼ながら、私よりも年下と思っていたし、近藤氏は、とっくに還暦を過ぎていると思っていた。若島氏は、私と同じくらいかな、と。まあいずれにしろ三方とは、昔から共に民族派運動を戦ってきた。古い同志である。六十名ほどの会場は満員で、定員をはるかに越えている。山口申、阿形充規、藤元正義、山本峰章、直隆史の諸先生から、若手の活動家まで、良く集った。三人の方の人柄であろう、皆、和気藹々でお祝いしていた。

P1000049

※鹿島政晴氏。クリックして下さい。

P1000050

※近藤勢弌氏

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※若島和美氏

 

 この宴席で、週刊新潮に対する抗議団の一員である、青年思想研究会の市村清彦氏より、大変貴重な写真を見せて頂いた。それは、島村征憲が児玉先生の所に行った(虚言であるが)と自称する、昭和三十七、八年頃のもので、児玉先生を中心に、横山新次郎、稲川聖城、岡村吾一の諸先生はじめ、青年思想研究会の初代議長、高橋正義先生と実兄の信義先生などが写っている写真である。見せられないのが残念であるが、この錚錚たる人たちと交流のあった、児玉先生に、十七、八歳の島村が付いていたなどとは、到底考えられない。その写真を見たなら、一目瞭然。こんなに迫力のある写真は稀だろう。

 朝が早かったためか、八時の終了時には眠くなってしまい、大行社の小針政人、内川徳彦の両氏の車に便乗して帰宅。


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身の処し方とは・・・。

2009-04-11 10:10:44 | インポート

四月十日(金)晴れ。天皇、皇后両陛下ご成婚五十年。

 朝のニュースでは、両陛下のご成婚五十年の特別映像が流れていた。家族で威儀を正して見た。謹んでご皇室の弥栄と両陛下のご健康をご祈念申し上げます。

 先日、NHKでの番組「アジアの一等国」というものを見たが、これがひどいものだった。まるで、わが国のアジア侵略史を宣伝する、といった偏向したもので、見ていて気分が悪くなった。特に、台湾のことに関しては、いかに日本と日本人が悪かったか、との内容で、国営放送で良くこんな番組を作るのかと、疑問に思った。穿った見方をすれば、両陛下のご成婚五十周年に狙いを定めて、わざわざこんな反日番組を作ったのかもしれない。

 過日、「赤報隊」を名乗る者が、各地のNHKに対して行動を起こしたが、先日の番組を見て、その行為は、至極当然の事のように思えてきた。週刊新潮もとんでもないが、国営放送の方がもっと悪質だ。新潮は嫌なら買わずに済むが、NHKはそうも行かない。強制的に料金を取られる。それでいて反日番組を作るのだからナメている。チヨット抗議されたり、直接行動を行うと、必ず「民主主義に対する挑戦」とか「表現の自由の侵害」といった「安全圏」に逃げ込むくせに、自分達の言動には決して責任を取ろうとはしない。嫌な連中だ。

 週刊新潮は、十六日発売号に、何らかの意思表示を行うと、マスコミ各社に通達したそうだ。未確認情報だが、デスクのKが責任を取って退社し、一頁程度で、検証記事を掲載するらしい。もし、この情報が本当ならば、バカにつける薬はない。責任を取るべきはトップ、あるいはそれに準ずる者であろう。世間に迷惑をかけた、という意識がなくて、社員に罪を転嫁する。社員の失敗は、「自分の不徳の致す所」、という認識のない経営者のいる会社など、間違いなく衰退の一途を辿るに違いあるまい。

 責任の取り方、と言えば、私がすぐ思い浮かべるのは今村均将軍である。もう一人、海軍では井上成美。この二人の晩年どうであったか・・・。あっそうだ、そのお二人の事を書いたのは阿川弘之と角田房子の両氏。確かその本は、新潮社から発売されているはずだ。

 午後から事務所で、手紙を五通に原稿を二本脱稿した。帰宅後は、軽く飲んで寝た。


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ついにマスコミが島村を追い詰めた。

2009-04-10 10:17:15 | インポート

四月九日(木)晴れ。

 起床後から電話が鳴りっぱなしだった。マスコミや同志、先輩、知人、そして社友会の人たち。もちろん、今朝の産経、毎日、朝日の各新聞や「週刊文春」を読んだ人たちからだ。

 恥ずかしい話であるが、浪人生活ゆえ、私には定期収入がない。例えわずかな金額であっても、毎月決まった日に支払いをする、という事が中々できない。従って、以前は、資料にするために新聞五紙を取っていたが、今では産経新聞一紙のみである。それでも、現在は、インターネットが発達しているので、興味のある報道はパソコンで読むことができる。朝日、毎日のニュースは、パソコンで見た。

 ついに島村が虚言を認めた。

 文春の記事は、昨日、知り合いの記者から早刷りを送って頂いていた。新聞広告では、「新潮VS朝日『赤報隊』実名告白者に直撃六時間ー『オレは阪神襲撃の実行犯じゃない』」というもので、島村の顔写真まで出ている。その「文春」の記事の中で笑えたのは、「野村さんと面識はあったけど、オレは犯行声明文を書いてくれなんて頼めるような立場じゃないですよ。新潮の手記では、野村さんを『ダンナ』と呼んでいたことになってるけど、そんな呼び方できるわけない」と否定した。

 涙を流して否定! 

 毎日新聞によれば、「87年1月に朝日新聞東京本社を銃撃した後、右翼の野村秋介氏(故人)に犯行声明文を作成してもらった」との内容については「(犯行声明との関連で)野村さんの名前は出していない」と涙を流し否定し、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件に関しては「おれはバカだから爆弾なんて作れない」と関与自体を認めなかった。

 新潮社から金を貰っていた。

 朝日新聞は、昨日の私のブログを裏付けるように、「新潮、襲撃手記に九十万・・・証言者『記事はウソ』と主張」と報道している。当初、新潮社は、マスコミ各社に対して「金銭の提供はない」とコメントしていたではないか。本当かどうかは分からないが、島村と新潮社側とで、金の事で揉めて、「それなら金を返せ」と言われたとか。品性のない者同士のバトルを一生やっていろ、という感じである。

 因みに朝日新聞は、「情報提供者に金銭などの対価を支払うと取材側意向に合わせて証言内容を変える可能性がある。このため朝日新聞では、原則、情報の提供者には対価を渡さないことにしている」とか。当初、新潮社は、二月二十六日の抗議の段階では、島村に、金銭の提供はない、と話していたのである。

 産経は、「新潮 裏付けあったかー雑誌報道史に禍根」との見出しで、新潮の虚報を批判して、ご丁寧にも島村の顔写真をカラーで出している。実は、島村を直撃取材をしたのは、文春、毎日、産経の三社である。一社だけでは、新潮に揚げ足を取られかねないとの判断から、三社の共同取材となった。

 しかし、まだ島村の証言にはウソがある。「実行犯ではないが、若い衆二人がやった」「野村先生と面識があった」「児玉先生の所に四ヶ月だけ居た」という下りである。この期に及んで、まだこれだけのウソをつく。しかし、ついに島村を追い詰めた。私達にとっては、難儀で、体力の要した戦いであった。暴発寸前の若い人達に、「合法的にやっても、絶対に勝てる戦いだ」と、自重を促し、全国の一門や社友会にも、新潮社との戦いの経緯を逐次報告した。

 その間、かつて島村の拠点が北海道ということもあって、二回も足を運び、北海道の同志諸兄の協力と支援を仰いだ。特に、草莽塾の坪岡公康氏、島村が所属していた無名塾の伊藤清隆塾長には、的確なアドバイスを頂き感謝に堪えない。勿論、田中清元、前田伏樹の両盟友や大行社の谷口壽美雄総本部長、石澤博文、梶浦直樹の社友にも大変お世話になった。

 阿形充規先生が新潮社に対して行った抗議がきっかけとなって、我々が結集した。犬塚哲爾先輩の情報力と人脈の影響も大きかった。さらに青年思想研究会の市村清彦氏には、児玉先生に関する資料を提供して頂き、検証原稿まで寄せて頂いた。(「燃えよ祖国」に掲載する予定です)木村三浩代表とは、それこそ二人三脚で情報を収集した。この方たちとの共同戦線がなかったならば、新潮社の対応も、また違ったものになっていたに違いあるまい。常に心配を頂いた、三本菅啓二先生には、衷心から御礼を言いたい。また、親しくしているマスコミ関係者からの情報提供が、なくしては、私達の動きも制限されたものになったであろう。感謝しています。

 経過報告にお集まり頂いた、諸先生や諸先輩には近々、報告会を催す予定です。しかし、まだ、今日の段階では、あくまで「経過報告」に過ぎない。完全に、島村も新潮社も「虚報」を認めて、謝罪を表明してはいない。特に、「右翼の名前を標榜して、アメリカの関係者から金を貰い、人殺しをした」として、児玉、野村の両先生が、あたかもその事件に加担したかのように語った、島村からまだ直接的な謝罪を受けていない。もしこのまま真摯な謝罪をせずにいたのならば、マスコミ各社に顔写真が公表された以上、彼の安住の地など日本中にない。

 島村の写真と彼が毎日新聞に語った一問一答は、 ここをクリック!  (毎日新聞社のページ「毎日jp」)

 我々は、彼に危害を加えるつもりなど毛頭ない。「全てウソでした」と話し、謝罪をすれば、それでいいのだ。民族派運動、児玉、野村両先生の名誉が恢復されることが大事であるから。

 決して戦いは終わったわけではないのだ。

コメント (2)
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