白雲去来

蜷川正大の日々是口実

関所の内、だから関内。

2015-12-18 10:33:14 | 日記
十二月十二日(土)晴れ。

良い天気である。午後から所用ありて新宿へ。相変わらずすごい人出である。横浜で、人が多い場所と言えば横浜駅西口周辺ぐらいか。関内、福富町と言った夜の街もかつての賑わいがなくなり、特に関内は老舗のクラブが次々に閉店し、その跡にはマンションばかりが建設されて行く。

関内(かんない)とは、通称の呼び名で、横浜に関内と言う正式な住所表記はない。幕末の頃、今の伊勢佐木町から馬車道に入る所に、尊皇攘夷の志士が外国人に危害を与えるのを防ぐために関所を設けた。現在の吉田橋の辺りである。その関所の中を通り、海側の外国人の居留地に入ることから「関所の内」、すなわち関内という呼び方が定着した。因みに反対の伊勢佐木町方面は、関所の外で「関外」と呼ばれたが、今では死語になった。従って、残っているのは駅名と、通称の「関内地区」のみである。若い頃から背伸びして関内で飲んで以来、随分と月日が経ったが、当時通っていたお店はほとんど閉店してしまっている。まあ飲み屋の数だけ様々な思い出があるが、考えてみれば、それも皆「十年一覺揚州夢」か。

魚屋を覘いたら、ブリの旨そうな刺し身があった。「天然物」とのラベルに魅せられて買った。夜は、酔狂亭で月下独酌。

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伊東に行くならハトヤ。お前もか・・・。

2015-12-17 10:04:26 | 日記
十二月十一日(金)曇り。

朝食後に新聞を開けば、野坂昭如氏の死亡記事。昔から人を食ったような所があって、あまり好きな作家ではなかった。斜に構えた態度がそのまま左翼で、昔はとんでもない野郎だ、と本も読まずにいたが、ある時、犬塚博英さんの勉強会に講師できたことがきっかけで、彼の本を二冊ほど読んでみたことがある。「嫌だ」という最初の直感は中々ぬぐえず、またのめり込むような作品もないことから、意識の中から消えていた。大島渚の殴打事件は、日頃から「平和」を口にしながら、暴力をふるう行為に白けたが、同病相憐れむ―と言う感じがして、笑えた。

しかし、不勉強ながら「おもちゃのチャチャチャ」や「伊東に行くならハトヤ」などの作詞が野坂氏と知って、へぇー。知っていたならば、子供が小さい時に歌うんじゃなかったと後悔した次第。それでも死ねば皆神様。合掌。

午前中に、かかりつけの医者に行き、常備薬を貰う。三種類二十八日分で四千七百円。高いのか、安いのか分からんが、一ヶ月五千円弱で、病気が予防できると思えば、安いものか。午後にちょっと良いことがあって、ふふふの境地で、晩酌の肴をどさっと買い込み、酔狂亭で独酌。

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喜多嶋舞・内藤洋子・マヌエラ

2015-12-16 06:32:40 | 日記
十二月十日(木)曇り後晴れ。

何とか言う芸能人の息子が、不義の子(ちょっと古いか)早い話が自分の子であるか、ないかと血液を調べたり、裁判に訴えたりしたらしい。本来は、そんなことはひっそりとやるのが、大人の流儀と言うものだが、所詮はアホ馬鹿の集まる世界だから、一般の常識は通じないか。

その件の前妻が、その騒動の渦中で引退を表明したが、私のようなおっさんには、えっあなた女優だったの?、引退を表明するほど大したものなの。と。例えば池上季実子さんのような女優が突然引退するとなれば、何があったのだろうと思うが、黙ってフェードアウトした方が本人にも子供さんにも良かったのではと、そう言う世界に疎い私は思うのだが。

そうそう彼女のお母さんは私と同じ歳の人で内藤洋子さん。北鎌倉女学園に在学中から清純派女優として人気があったが、彼女の「白馬のルンナ」という歌を聞いた時に、いっぺんに夢が冷めたことを覚えている。あの歌さえ聞かなかったらもう少しファンでいたかもしれない。後年、内藤洋子の名前を久しぶりに聞いてエッと思ったことがあった。それは戦前の上海でダンサーとして一世を風靡した「マヌエラ」の自伝を読んだ時のこと。その「マヌエラ」こと和田妙子さんが何と内藤洋子さんの伯母にあたる人と知り、へぇー!。

そのマヌエラこと和田さんが九十五年の生涯を閉じたのは、平成十九年の五月の十八日こと。産経新聞の「死亡欄」にこういう記事が掲載された。
「戦前の上海でダンサーとして活躍し、戦後はクラブ経営者として多くのジャズメンを育てた和田妙子さんが18日午後、東京都八王子市の病院で亡くなった。95歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。 和田さんは北九州・小倉の出身。昭和3年、松竹楽劇部1期生に合格し、もらった芸名は『水の江たき子』。『ひらがなが気に入らなかったから』と同期生の『東路道代』と交換し、後に名を滝子とかえた同期生は愛称ターキーの大スターとなった。一方の和田さんは2度の結婚を経て13年に、上海に渡った。

国籍不明のダンサー『ミス・マヌエラ』としてフランス租界のクラブでスパニッシュを踊り、『魔都の花』として人気沸騰。市内一の繁華街、南京路の朝鮮銀行の壁には十八番の「ペルシャンマーケット」を踊るマヌエラの大きな写真が飾られた。国歌を演奏しながら行進していた米海兵隊のマーチングバンドは、写真の前にくると曲を『ペルシャンマーケット』にかえたという。

開戦時には連合国側のスパイと疑われて日本の憲兵隊に身柄を拘束され、終戦時には日本のスパイとして米国の陸軍情報部の取り調べを受けた。帰国後は東京・内幸町でクラブ『マヌエラ』を経営した。上海仕込みの英語と度胸で行儀の悪い進駐軍の兵隊をしかり飛ばし、この店で前田憲男、ジョージ川口、マーサ三宅らが育った。いわば戦後日本のジャズの育ての母でもある。波乱に満ちた和田さんの人生は、西木正明氏の小説『ルーズベルトの刺客』のモデルにもなった。」

私は、個人的に上海が「魔都」と呼ばれていた戦前の上海の小説が好きで随分と読んだ。その中でも『上海ラプソディー―伝説の舞姫マヌエラ自伝』(WAC)は好きな本である。
夜はおとなしく酔狂亭で月下独酌。

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漱石忌

2015-12-15 09:21:08 | 日記
十二月九日(水)晴れ。

人に譲らない、頑固な性質を称することを「流れに枕して石に口を漱ぐ」という。そう「漱石」の雅号。これは元は正岡子規の雅号であったが、子規から漱石に贈られた。漱石の本名は金之助。彼は、大正五年(一九一六)の今日、早稲田南の自宅で胃潰瘍で亡くなった。享年五十歳。今日は漱石忌である。恐らく日本人で漱石の本を一冊も読んだことのない人はいないに違いあるまい。

夜は、恒例の「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。二月ぶりにお店に行けば、今まで座敷だった所がテーブル席となっており、我々おっさんたちには嬉しい仕様で、トイレに立つときも「ヨッコラショ」と声を出さずに済む。野毛は、私の若い頃は、労働者やおっさんの聖地だったが、最近は若い人向けの店が増えて、土曜の夜などは、歩くのも一苦労だ。しかし関内を愛する私としては、野毛はアウエーであり、馴染みの店は同級生の経営する「弥平」以外にない。

評判を聞いたり、人の紹介などで何軒かの店に行ったが、どうも馴染めない。と言っても最近は、関内に行く回数もとんと減ったが。「弥平」で友人らと、地球温暖化、南北朝鮮問題、靖国の放火事件、イスラム過激派のテロについて侃々諤々、喧々囂々の議論を・・・。と言うのは嘘で、体の具合や孫の話に終始しました。あーあ世も末だ。ちなみに私にはまだ孫はいません。

その後、有志らと関内へ転戦。やっと故郷に戻ったような気がする。珍しくお店が暇で、客は我々のみ。次の客が来たら帰ろうかと思ったが、結局、日にちが変わるまで我々のみで、失礼してお暇した。

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東亜侵略百年の 野望をここに覆(くつがえ)す

2015-12-14 10:18:39 | 日記
十二月八日(火)曇り。開戦記念日。

昭和十六年十二月十日 大本営政府連絡会議は、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期ニ附テ」を協議し、昭和十六年十二月十二日、閣議で以下のとおり正式に決定した。「今次の対米英戦争及今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め 大東亜戦争と呼称す

マスコミは、「先の大戦」を言う時に、必ず「太平洋戦争」と言う。法に忠実であるならば、大東亜戦争と呼称すべきである。

開戦から、終戦までのいわゆる戦中を「暗い時代だった」などと言う人がいるが、決してそうでは無かった。もちろん戦後の生まれである私には、それを実感したことはないが、田原総一郎が連載している『週刊朝日』に、田原氏自身が、極端な言論統制もなかったし、戦時下、国民は普通の生活を営んでいた。と言うようなことを書いていた。野村先生ではないが、「いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。

起つや忽(たちま)ち撃滅の かちどき挙がる太平洋 東亜侵略百年の 野望をここに覆(くつがえ)す いま決戦の時来る。(「大東亜決戦の歌」)を聞きながら静かに先人を思う。

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