白雲去来

蜷川正大の日々是口実

社友のブログが更新されずにいる。

2023-01-26 15:37:01 | 日記

1月19日(木)曇り。

起きられずに、朝食は抜いた。昼前に友人と会い雑談。その後昼食。蕎麦屋が満席だったので、ココ壱番屋でクリームコロッケをトッピングしたカレー。夜は、上の子供が「ふるさと納税」の返礼品で頂いた「餃子」。何でも千葉のキャベツ農家で作っているとのこと。他は、エビチリ、焼売。自宅が町中華となった。お供は「黒霧島」。

最古参の弊社の社友が、欠かさず、こまめにアップしているブログが今月の17日を最後に全く更新されずにいる。(これを書いているのが26日だから、もう9日も更新されていない)電話もつながらないし、どうしているのか、とても心配である。彼に何があったのかは分からないが、元気でいるのならば、空白の日々のブログを読みたいものだ。

約100年も続いた『週刊朝日』が5月で休刊と言うニュースを見た。「休刊」とは出版界では「廃刊」と同義語である。週刊誌のトップは『文春』と『新潮』であるが、何でも固定の読者の殆どが60歳以上とのこと。『朝日』に限らず紙媒体の全体が苦戦している。我々アナログ世代としては、寂しい限りである。


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若い人は「ドライブ・イン」を知らない。

2023-01-26 14:45:17 | 日記

1月18日(水)曇り。

朝食は、小ぶりの天ぷらうどん、鶏肉の煮物。昼は、トースト一枚。夜は、ピーマンと挽肉の炒め物、紅ショウガの天ぷら、シイタケとえのきの天ぷら。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

昨日のブログで、「世田谷の環八沿いのドライブ・インでアルバイトをしていた」。と書いたが、何でも今の若い人は、その「ドライブ・イン」が何かわからないということをテレビで見て、ちょっと驚いた。「ドライブスルー」のようなものとほとんどの人が思っているそうだ。「ドライブ・イン」とは、簡単に言えば、車に乗車したままで乗り入れることのできるレストランなどの商業施設のことである。1960年代後半から70年代中期にかけて流行した郊外型のレストランで、特に環七、環八沿いにはおしゃれなお店が多かった。

若い人には、まだ車が高根の花だった時代、ガールフレンドを乗せてドライブ・インで食事をするデートが流行った。まだいくらか法律もゆるい時代で、多少の飲酒運転ぐらいは、余り気にもしなかった。今は、駐車場を完備したファミリーレストランなど常識だが、当時は、そんなファミレスなどなかった時代だ。今でも、たまに第三京浜を走って、世田谷方面に行き、多摩美術大学を過ぎると当時バイトをしていた山小屋風のドライブ・イン「タマリバー」を思い出す。また行ったことはないが、瀬田の交差点には「シャトー玉川」というホテルがあったことを覚えている。

 


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久しぶりに聴いたマイルス・デイビス。

2023-01-24 15:34:22 | 日記

1月17日(火)曇り。

朝食は、湘南餃子、清風楼の焼売、「ぴん太郎」の「わかめ」とウェイパーを使ったスープ。昼は、トースト一枚。夜は、鶏肉と大根、人参の煮物、レタスのナムル、マッシュルームと舞茸のアヒージョ。お供は「赤霧島」。酔狂亭にて独酌。

上の子供が、帰宅した時に「はい、お土産」と渡してくれたのが、ディアゴスティーニの「ブルーノート」シリーズの第一回配本の「マイルス・デイヴィス」。初回は490円。ジャズなんて詳しくも何ともないが、若い頃にレコードを少し集めたことがあった。CDではない時代であるから、当然昭和の頃だ。最初に買ったLPを覚えている「MJQ」(モダン・ジャズ・カルテット)。彼らの「ジャンゴ」という曲を聴いたことがきっかけだった。気取って、コルトレーンの「至上の愛」何てタイトルのLP を買ったが、さっぱり分からなかった。

高校生の頃に、環七通りの上野毛の駅の先、多摩美術大学のすぐ近くに「タマリバー」という24時間営業のドライブインでアルバイトをしていた。日曜日の早上がりの時は、自由が丘にあった「ファイブ・スポット」というジャズ喫茶に寄った。そこでコーヒーを飲みながらジャズを聴いていると、何だか大人になったような気がしたものだ。しかしながらジャズとは、すぐに別れて、10代の頃はもっぱらR&BとBBキングなどのブルースばかり聴いていた。先日亡くなられたジェフ・ベックがいた「ヤードバーズ」のLPも懐かしい。一時200枚以上もあったLPも今では数十枚程度しか残っていない。どこへ行ったやら。松本佳展君からターンテーブルを貰ったので、久しぶりにLPをかけてみるか。

 


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医者のハシゴ。

2023-01-23 14:05:03 | 日記

1月16日(月)雨。

朝食は、おでん、スパサラ。昼は抜いた。夜は、最後の牡蛎の晩餐。蒸し牡蛎、牡蛎のニンニクとオリーブオイル炒め。生ワカメとレタスのしゃぶしゃぶ。お供は、「赤霧島」。

午前中に、先日行った内臓のCTの結果を聞きに、掛かりつけの病院に行く。結果はセーフだったが、背中の右側の痛みが取れないので、他の病院でもう一度CTを撮ってもらうつもり。午後からは歯医者へ。一日が病院のハシゴで終わってしまった。病院の待合室で、産経新聞の書評で知った『嵐を呼ぶ女ーアカデミー賞を獲った日本人女性プロデューサー、愛と闘いの記録』(吉崎道代著・キネマ旬報社刊)を読む。


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『週刊朝日』が休刊か。

2023-01-23 13:27:15 | 日記

1月15日(日)雨のち曇。

朝食は、納豆、焼きのり、ポークハムに生ワカメのスープ。昼は抜いた。夜は、昨日に続き牡蛎尽くし。生牡蛎、蒸し牡蛎、牡蛎のニンニクとオイスターソース炒め。めまいがするほど美味しかった。お供は「黒霧島」。

『週刊朝日』5月末で休刊。とは産経新聞の記事である。色々な意味で感慨深い。その記事の中に、野村先生の事について触れていた。以下は、産経新聞に掲載されていた全文です。

朝日新聞出版の雑誌「週刊朝日」が、5月末に発行する6月9日号で休刊することが分かった。同社がホームページで19日明らかにした。「販売部数・広告費が縮小するなか、ウェブニュースや書籍部門に注力する」などとしている。「日本最古の総合週刊誌」とされる同誌は、出版不況を背景に、100年を超える歴史に事実上、幕を下ろす。
 週刊朝日は大正11年創刊。先の大戦後の1950年代以降、出版社が相次ぎ週刊誌を創刊したが、派手な芸能報道や成人向けのグラビアとは一線を画し、政治、経済や教育といった話題を中心に誌面を構成。平成5年には右翼団体大悲会の野村秋介元会長が、山藤章二さんのイラスト連載に抗議し、朝日新聞東京本社で短銃自殺を図り、死亡する事件が発生。24年には、当時の橋下徹大阪市長の出自を題材にした連載を巡り、橋下氏の抗議を受け連載が打ち切り、朝日新聞出版の社長が引責辞任した。日本雑誌協会によると、昨年7~9月の平均印刷部数は約7万4千部。24年の同時期は約20万部で、部数減が進んでいた。

写真は、私が所蔵している『週刊朝日』の昭和16年12月28日号。開戦直後のものである。特集は、「皇軍の士気太平洋を呑む」。右翼の機関誌ではありません。


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