白雲去来

蜷川正大の日々是口実

暮れに向かい、酒席が多くなる。

2024-11-12 16:16:54 | 日記

11月11日(月)曇り。

土曜日は、青年思想研究会(緒方孝明議長)の主宰する「先憂を偲ぶ会」が、上野の中華料理店にて行われ、群青の会の大熊雄次氏と出席。入口で頂いた花を祭壇に供する。児玉誉士夫先生を始め、高橋正義先生、中村武彦先生、北上清五郎先生、遠井司山先生、筑紫次郎先生といった重鎮の遺影の前で、頭を下げた。その諸先生の中で、直接謦咳に接しなかったのは児玉先生だけである。大日本生産党の北上清五郎先生には特に可愛がっていただき、ご指導を賜った。珍しく、ウーロン茶で過ごす。翌、10日は、去る10月12日に亡くなられた、お世話になっている方のご尊父の本葬儀があり、志村馨君や愚妻とともに出席。会場で松本佳展君ご夫妻、小川、奥山両氏と合流。これまで様々な葬儀に参列したが、これけほど大掛かりな葬儀は記憶にない。主催された方々のご苦労はいかほどだったのかと思う。ご苦労様でした。

横浜に戻ってから、日本旭友会(岡崎守成会長)の忘年会が新宿の中華料理店にて行われ大悲会の志村馨会長と共に出席。乾杯の音頭を取る。今日も、ウーロン茶で我慢する。

アマゾンで取り寄せた霧島兵庫の『静かなる太陽』を読了する。先日、読了した『ソコレの最終便』の野上大樹さんの以前のペンネームが霧島兵庫である。『静かなる太陽』は、明治33(1900)年に起きた「義和団事件」を題材にした小説である。その事件は、昭和38(1963)年に公開された「北京の55日」という映画にもなった。私は中学一年で、その映画を、当時、伊勢佐木町の近くにあったピカデリーという映画館で見た。主題歌はブラザース・フォーが歌いヒットした。義和団事件を題材にした本と言えば、松岡圭介の『黄砂の籠城』『黄砂の進撃』を以前読んだが、その2冊も良かった。今回読了した『静かなる太陽』も、違った感慨がある。酒を少し控えているので読書のペースがいい。暮れに向かい、酒席が多くなる。※FBに、青年思想研究会、日本旭友会の写真を掲載してあります。


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コオヒイと読書とバラの日々。

2024-11-09 12:31:00 | 日記

11月7日(木)晴れ。

ビデオデッキが壊れた。リモコンが悪いのか本機なのかは分からないが、録画してある映画などが全く見ることが出来ない。私は、ビデオに限らず家電などを買うとテプラで、購入した年月日を貼っておくことにしている。それを見ると、ビデオは、平成22年11月に購入したものである。平成22年と言えば2010年だから、もう14年も使っていたのか。経年劣化か、キッチンの油のせいか日焼けかは分からないが、大切な録画を見れないし、ネットでみても新しいものはかなり高い。これから大好きな駅伝シーズンだというのに。若い人は知らないだろうが橋幸夫の歌ではないが「チェッチェッチェ」。

良い天気だと、なぜかそれだけで嬉しい。朝食は食べないので、午前中は、コオヒイを飲みながらのんびりと本を読む。固い本など読む体力もないので、ほとんどがエッセーか旅と酒に関する本ばかりである。エッセーで楽しかったのは、亡くなられた福田和也の『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』、浅田次郎の『アジフライの正しい食べ方』、お世話になっている岩田温先生の『バカも休み休み言え』(まだお礼状を書いていない。すみません)、『三島由紀夫街歩き手帳』(横山茂彦著・太田出版)。小説は、『ソコレの最終便』、同じ作者の義和団事件を題材にした『静かなる太陽』などか。その他、買ったままで、まだ読んでいない本が5冊ほどある。読んでいる時のBGMはいつも川井郁子さんのバイオリンをユーチューブで流している。昼食は、ナンドック1本にコンソメスープ。

夜は、後輩が、「群青忌」のお疲れさん会を催してくれた。牛タンの名店で食事の後に、紅灯の巷へ繰り出し傾城と傾国を相手に杯盤狼藉。最後はサリーの店で〆。帰る時に、後輩がお店の階段で足を滑らして肩を脱臼。救急車を呼ぶ羽目に。幸いに大事には至らなかったが、サリーや仲良しのお客さんにお世話になりました。ありがとうございました。

 


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ブックカバーは「明るい農村」。

2024-11-08 15:37:19 | 日記

11月6日(水)曇り。

昨日は、酉の市。今年は三の酉まであるそうだ。この一の酉が、立冬の前に来た年は、三の酉まである。三の酉まである年は「火事が多い」などと言われたものだ。子供の頃は、酉の市に行く時は、オーバーにマフラーと完全防備だったものだ。今では、温暖化のせいなのか、そんなに寒くなくなった。明日、7日が立冬。冬の始まりである。子規の句、「冬立つや背中合せの宮と寺」はあまりにも有名。この時期の季語には、立冬・冬立つ・冬に入る・冬来る・今朝の冬などがある。

中華街に「上海蟹入荷」の看板が立ち、酉の市が始まり、立冬を迎える頃には「木枯らし一番」が吹く。大みそかには除夜の鐘の代わりに横浜港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らす。我が家は横浜港からかなり離れているが、風向きによっては汽笛が聞こえる時もある。どんなに幸せであっても、行く年、来る年に対して、船の汽笛程切なく聞こえるものはない。

アメリカの大統領選挙では、事前の予想に反して共和党のトランプが圧勝。日本のマスコミの殆どが民主党のハリスが優勢、もしくは拮抗と報道していた。さて不安定な日本の政界は、どう対処するのだろうか。保守勢力から全く人気のない石破総理の手腕がこれから問われる。大体、日本はアメリカが民主党の大統領の時は、余り良いことがない。原爆投下を許可したトルーマンも民主党ではなかったか・・・。

アマゾンで注文しておいた『ソコレの最終便』の作家が以前に霧島兵庫の名で上梓した、義和団事件を題材にした『静かなる太陽』(中央公論新社)が届いた。ワクワクしながら読み始めた。また、図書館に頼んでおいた古海忠之の『忘れ得ぬ満州』と『檀一雄の従軍日記を読む』(山城千恵子編・著、新潮社)も届いた。頂き物をした際の包装紙をブックカバーにするのが好きだ。以前、中華街の「安記」の焼売をお土産に買った時の包装紙をカバーにして、喫茶店で読んでいたらお店の人に「安記が本を出したのですか」と言われ、笑ったことがあった。『静かなる太陽』のカバーは、友人から頂いた「明るい農村」という焼酎の包装紙である。酔いそうだ。(笑)

 

 


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『ソコレの最終便』をイッキ読みした。

2024-11-05 18:15:55 | 日記

11日5日(火)曇り。

火曜日と言うとすぐに頭に浮かぶのは「床屋が休み」。最近、足のむくみがひどいので午前中に掛かりつけの病院行き。「大きな病院で検査を受けなさい」とのことで、紹介状を書いて貰った。7日の午前中に診察を受ける予定。昨日、夜中に目が覚めてしまい、其の後中々眠れず、仕方がないので、先日、上の子供に買って貰った『ソコレの最終便』(野上大樹著・集英社)を読んだら、面白いの何のって二時間ぐらいで読了してしまった。こんなに面白くてイッキ読みしたのは久しぶりの事。この本のことを知ったのは、産経の書評から。

「大戦末期、ソ連軍の奇襲侵攻を受け崩壊の危機に瀕する満州国。特命を帯びた装甲列車(ソコレ)が、混乱の大地を駆け抜ける。疾走距離2000キロ、タイムリミットは7日間」とは本の帯から。序章と最終章で「ノモンハン事件」について触れているが、最終章は蛇足のような気がする。読んでいても腹が立つほどの上官が出てくるが、全編を通じて、やや反軍的な所があるが、防大卒と言う筆者は、上官に恵まれなかったのかもしれない。まあそんなことを抜きにしても、楽しめる本だ。義和団事件を題材にした『静かなる太陽』という作品もあるので、早速、注文した。

義和団事件の本と言えば松岡圭介の『黄砂の籠城』『黄砂の進撃』を以前読んだが、その2冊も良かった。

弘明寺駅のすぐ近くにある図書館で、古海忠之の『忘れ得ぬ満州国』と『檀一雄の従軍日記を読む』を注文して、「入荷」の連絡があったので図書館に行けば休館日だった。ついていない。


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栗に似ているが、少し劣るので八里半。

2024-11-01 15:25:29 | 日記

10月31日(木)晴れ。

あっという間に10月も今日でお終い。歳のせいか、1日、1ケ月、1年があっという間に過ぎて行くような気がする。年月は人の都合にかまわず過ぎ去って、しばしもとどまることがない。歳月は人を待たず。か。午後、我が家からフト空を見上げると、とても見事なうろこ雲が広がっていた。いわし雲もウロコ雲も、ひつじ雲も皆秋の季語。野村先生の句集『銀河蒼茫』の「秋の部」には、「いわし雲」を読んだ句はあるが「うろこ雲」を詠んだ句はない。

秋の味覚と言えばさつま芋。そのさつま芋は、文字通り薩摩、鹿児島が生産量では第一位。二位は茨城、三位は千葉で、この三県が、さつま芋の生産の7割を占めているという。鹿児島のさつま芋は、ほとんど芋焼酎用で、焼き芋や干し芋は茨城がトップといこと。意外だった。関東では、さつま芋の別名は「八里半」と言うことを『幕末単身赴任ー下級武士の食日記』(青木直己著・筑摩書店)で知った。さつま芋の味が栗(九里)に似ているが少し劣る。という意味だそうだ。対して京都では、栗より味が良いと言うことで「十三里」。東西の気質の違いが感じられて面白い。

私が小学生の頃までは、冬になると落ち葉を集めて焚火をし、焼き芋を作って食べたものだが、現在では、都会で焚火をしようものならば、消防車が飛んでくるかもしれない。個人的には焼き芋よりも大学芋の方が好きだ。特に浅草は「駒形どぜう」の道路を跨いだ前にある、名前は忘れたが、大学芋の専門店の物が好きで、「どぜう」のお土産に買ってくることがある。夜は、久しぶりに狭斜の巷にて杯盤狼藉。


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