● インタビュー 高橋哲哉 「極右化する政治」を読んで
『世界』1月号
須山敦行
※ とにかく鋭く、強い意見だ。闘う民主主義者という立ち方、生き様が、気持ちよく感じられる。小難しいことは言わない。大切なことをしっかり言うという趣だ。
◎ 筆者は、「日本会議」、「神道政治連盟国会議員懇談会」など、政府の周辺の右翼的な組織の動きなどを詳しく把握しており、その動きを危機意識を持って見ている。
また、その動きに対して、ジャーナリズムの追求が弱いことを、危惧している。
「追及以前にほとんど報道されていないことが大きな要因になっている。……
日本の多くのメディアは政府に対する監視者の役割を放棄しており、事態は深刻です。」
◎ 特に危険な政治家について、名前を挙げて詳しく述べている。
下村博文 文部科学大臣
高市早苗 総務大臣 「国家社会主義日本労働者党」 『ヒトラー選挙戦略』
稲田朋美 政調会長 「国家社会主義日本労働者党」 南京大虐殺百人斬り訴訟
靖国神社参拝違憲裁判
首相の靖国参拝は……『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば後に続く』という意思の表明だ
山谷えり子 国家公安委員長 在特会
◎ 塩野七生 批判は、痛烈、痛快である。
彼の批判は、人間観の根本的な問題には容赦をしない、鋭いものがある。当然だろう。
塩野はオランダ人女性が「慰安婦」にされたことを知り、
「私の頭の危険信号が点滅し始めた」
「われわれ日本人にとって、欧米を敵にまわすのは賢いやり方ではない。オランダの女も慰安婦にされたなどという話が広まろうものなら、日本にとっては大変なことになる。
そうなる前に手を打つ必要がある」
という塩野の不勉強に驚き、
それにしても、
アジアの女性と欧米の女性とで、ここまで露骨に態度を変えていいのかと疑問に思います。
と言う。
※ あまりにも、アジアにおける日本人の立ち位置を表して見苦しいばかりである。
◎ 朝日バッシングの意味を問い、
「国賊」という用語を使う世の中になっている、ことを指摘する。
大正時代の「白虹事件」(1918年)を紹介し、(大阪朝日新聞、朝日の社長が右翼に襲われ、裸にされて「国賊」の札を付けられて電柱に縛られる)、週刊誌、月刊誌、に「国賊」「売国奴」の表現が出て来ていることに注意を喚起する。
「国賊朝日新聞は廃刊すべきだ」(『WiLL』) 櫻井よしこ、西岡力、比留間瑠比
小野寺五典 防衛大臣 鳩山元首相を「国賊」と呼ぶ
◎ 2001年 NHK番組改ざん事件 以来、NHKは「慰安婦」問題を報道しなくなる
「慰安婦」問題に日本軍の責任がないと言うなら、
慰安婦問題での産経新聞社長・鹿内信隆氏の発言をぜひ報道し、検証すべきだ。
陸軍経理学校で経理将校として、慰安所の設立の仕方を教わったと言っている。
そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの〝持ち時間〟が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。
(『いま明かす戦後秘史(上)』)
◎ 北星学園大学、植村隆氏の問題では、
「一般的な民主主義国家であれば、言論や学問に対するこのような脅迫行為に対しては、政権担当者やジャーナリズムが明確な言葉で批判するでしょう。」
「安倍首相は、
言論への迫害行為は許さないという政治姿勢がほとんど感じられません。」
「脅迫に屈して雇用を取り消したり、論調を変えることは、次の脅迫を自ら招く行為です。
学問の自由、表現の自由、言論の自由は現在、危うい状態にあります。
抵抗する側の内部崩壊もまたファシズムの時代の典型的な現象です。」と続く。
※ 闘う者に対して、「強くあれ」、「負けるな」、との、押す言葉である。
◎ 安倍晋三という政治家の恐ろしさ
安倍首相を取り上げて、
「安倍晋三氏は、平然と虚偽を述べることのできる政治家です。」という。
その判断の元は、こういう経験である。それは、
「関係者であれば誰もがすぐにわかるようないくつかの嘘をテレビなどで公然と述べた」
安倍首相は、かつて
「女性国際戦犯法廷は「謀略」であり、「拉致問題が問題化しているなかで、北朝鮮を被害者の立場にすることで、この問題の鎮静化」を図るという「大きな工作の中の一部を担っていた」と発言している。が、女性国際戦犯法廷は拉致事件が表面化する二〇〇二年の日朝首脳会談より以前の二〇〇〇年に開催されているのですから、これは明白な虚偽です。」
「民主主義国家の為政者であれば監視や批判を当然のこととして受け容れなければならいないでしょう。
しかし、安倍氏は批判に耐えることができない。
むしろ逆ギレして攻撃をする。
日本の歴代の政治指導者の中で特異な存在だと言えるでしょう。
安倍首相は友とみれば偏愛し、敵と見なしたものには攻撃をつづけます。
(カール・シュミット 政治の本質は友と敵を峻別することにある)
ファシズムに神話的な性質を持っていると言えるでしょう。
安倍政権はメディア・コントロールへの強い欲求を露わにしています。
秘密保護法の制定や、マスコミ各社の幹部との度重なる会食などはその象徴です。
メディアは
メディア・コントロールに取り込まれることを拒めるのか、政権との距離を保って権力の監視という役割を貫けるのか、まさに正念場だと思います。」
※ ダメなお坊ちゃまのようなひ弱でだらしないなぁ、というような見方は甘い。
回りを身内で固めて、自分に自信を持った男のやることじゃないよ、などと思っているのも甘い。
最も恐ろしいことをやり遂げる道を付けているとみなさなければいけない。
闘いの対象として、鋭い目を向けなくてはいけない。と言うわけだ。
◎ 歴史修正主義が、まかり通る世の中に
「日本の戦争は自存自衛の戦いであった、戦争責任は濡れ衣であり、東京裁判は不当な「勝者の裁き」であった、植民地支配は良いことだったというような、修正主義的な歴史観が政治やジャーナリズムで支配的になるという信じがたい光景も想像せざるをえない状況にあります。」
※ まことに、ひしひしと感じることだ。この、変化を変化として把握しよう。歴史の動きを感じて行動しよう。
◎ 「イスラエル的」なあり方(周辺国と敵対し、軍事大国アメリカに依存する)
この動きは、対米従属をますます深める側面がある
アメリカに従属することで東アジアにおける優位を保とうとする
伝統的な自民党政権の枠組みを一歩も出ません。
※ 「イスラエル的」なあり方は、イメージとして分かりやすい。
◎ 安倍には出来ない本来の議論
どんな内容の談話になるのか、注目の「戦後七〇年の談話」だが、安倍首相には無理だろうが、こうあるべきだと提案する。
「東京でなく、戦争の相手国で発することを検討すべき」だ。
「式典を各国で開催されるなら、盧溝橋の抗日戦争記念館や韓国の独立記念館などに行き、
相手国の信頼を獲ち得るような画期的な談話を発してほしい」と。
※ 安倍には無理でしょうが、理想の談話の姿として、安倍政権への対案として、持っていようと思う。