● 大江健三郎 「沖縄について考え続けていること」 で、意見交流をしました。
《 沖縄独立論 》
大江健三郎は、「沖縄独立論」に心惹かれてきているように感じる。
国会議員の赤嶺正賢君(同級生なので君と呼んでしまった)にお話を伺った時に、赤嶺君は「独立論がある」ということを、批判的に捉えて言っていたように感じたが。
自分が学生時代に新書の『沖縄の歴史』のようなものを読んだ時、歴史から言えば、独立した方がいいのでは、と感じてしまって、でも、それはとても寂しいことのように感じた記憶が蘇った。
井上ひさし『吉里吉里人』の、独立論には惹かれて、新自由主義の、大国主義の、軍事大国を目指す人は、そっちでどうぞ、私は内需型の、脱成長の、共生型の、絶対平和主義の憲法九条の国に住みたいんだ、みたいに思ったこともある。
《忘れちゃいけない事実》
米軍の捕虜になって、逃げ帰った二人の少年が、歩哨線で日本軍にとらえられた。少年たちを捕まえた隊長は、こう問いただした。皇民であるにもかかわらず、捕虜になった君たちは、どのようにその汚名をつぐなうのか。折檻された少年二人は、夜、しっかりつながれていた立木に首をくくって死んでしまった。 〔p44〕
《見過ごせない事実》
多くの手記や証言が、教科書に載っていたはずなのです。ところが二〇〇七年の高校教科書から、こうした集団死の出来事を書いた部分がすべて、検閲によって取り除かれることになった。 〔p44〕
《 大江健三郎の責任意識 》
勝訴の後、新しい高校の教科書が出たのだから、一九四五年三月、米軍が上陸した沖縄列島で何が起こったかを総合的、具体的に書く申し出をすべきだった。自分で高校生のための小さな本を出すこともできた。しかし、それをしなかった。そのことに責任を感じているということです。 〔p44〕
以上は、須山の報告。
教科書を巡る状況などが、話し合われ、
◎ 戦争勢力は、教科書を重視して、作り、広めている。
平和勢力は、教科書を作っているか。単に抵抗をしているだけか。
教科書作成の現場で、選択の現場で、しのぎを削る闘いが行われているだろうし、それに注目しなくてはいけない。
私は何をすべきか、考えなくてはいけない。
などが、危機意識を持って、話し合われました。