内科医である私が、人工呼吸器を取り付けなけらばならないと決意するときは、死をまったく予想していない状態の患者に、突然の呼吸停止状態が起きたときで、救命のためで、延命のためではないだろう。
造血器悪性腫瘍を専門としているので、すべての患者が元気で退院するわけではない。万策尽きて、死を予想しなければならない、いわゆる”終末期医療”に直面することもある。心拍もかすかになり、呼吸も最期のあえぎをしている患者を前に、家族の意向をはかりかね、とるべき対応に苦慮する。呼吸停止、心停止をしても、心臓マッサージをなほ要求される場合もある。医学根拠による判断を否定されたような、複雑な心境でうつろな行動をとることになる。、
絶対に避けられない”死”。
医学教育で、死は”どんな場合も医学の敗北”としての教育を受けてきたが、長期に病悩する患者の傍らにいた家族が、死を向かえほっとする家族の姿を見つめてきて、”救命”だけでなく”救死”ということについての医学教育があってもよいのではないか。