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連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

人工呼吸器取り外しで考えたこと(2):”救死”に関する医学教育の必要性

2006-04-05 00:34:40 | インポート

内科医である私が、人工呼吸器を取り付けなけらばならないと決意するときは、死をまったく予想していない状態の患者に、突然の呼吸停止状態が起きたときで、救命のためで、延命のためではないだろう。

造血器悪性腫瘍を専門としているので、すべての患者が元気で退院するわけではない。万策尽きて、死を予想しなければならない、いわゆる”終末期医療”に直面することもある。心拍もかすかになり、呼吸も最期のあえぎをしている患者を前に、家族の意向をはかりかね、とるべき対応に苦慮する。呼吸停止、心停止をしても、心臓マッサージをなほ要求される場合もある。医学根拠による判断を否定されたような、複雑な心境でうつろな行動をとることになる。、

絶対に避けられない”死”。 

医学教育で、死は”どんな場合も医学の敗北”としての教育を受けてきたが、長期に病悩する患者の傍らにいた家族が、死を向かえほっとする家族の姿を見つめてきて、”救命”だけでなく”救死”ということについての医学教育があってもよいのではないか。

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