14日NHK 夜7時半からの放送は、”医師不足への対応”座談会であった。私齋藤淑子は、1977年に東北大学第3内科に血液グループに所属するために入局した。当時、グループのリーダーの宇塚善郎先生は、学会の寵児であった。成人急性骨髄性白血病のDCMP2段治療法の極意を伝授していただきたいと、会員は先生を追っかけたし、報道でも度々取り上げられ、白血病が必ず死ぬ病気から、退院でき、しかも治るかもしれないとの希望を抱かしてくれた当時の反響のためでした(寛解された当時の患者との交流は診療を超えて今も続いています)。
しかし、先生は教授ではなかったからでしょうが、血液グループに属する医師は、1977年春には、居ず孤軍奮闘していらっしゃいました。白血病は、急激な病状変化ゆえ、四六時中拘束され、多忙が敬遠されるのがその第1の理由のようでした。その後も血液疾患のうち、白血病を専攻する医師は少なく、東北大学医学部付病院内の”血液を専攻する医師不足”そして、地域の血液を専攻した医師の供給不足へとつながります。血液疾患専門医不足に対する患者の危機感と先生への信頼が、退官後の宇塚善郎先生を仙台血液疾患センター設立へと動かした動機です。
医師の熱意を支えているのは患者です。最近、理不尽な物言いをされる患者家族の方が増えてきたので、医師が、重篤、変化が急な疾患をいとう風潮に、さらに拍車がかかり、さらには、利便性が無い地域への赴任は忌避されるだろうなと、わが身の近頃の経験から思いを巡らしました。