高齢者の人口比率が増加して、若年者に対する負担の増加がマスコミで繰り返し報道されるようになってから、十年以上の年月が流れた。在世中の高齢の両親は、このような報道を見聞するたびに、深い嘆息とともに、負担をかけないように、病気になら無いように努め、町内の環境整備に毎日自発的に、人目に触れない早朝に活動していた。
病を得てからは、体力の衰えはいかんともしがたく、自力で出来ることは体力的制限が加わり、つかず離れず、付き添う機会が増えた。ときには手をつないだのですが、しわがれた手を嫌がりもしない子に育ってよかったとの言葉に、老醜をさらしながらも死の迎えが来るまで生きていなければならないことのつらさと、子に背負われるまで長生きできた喜びとを示してくれた思います。
”立ち向かえなくなる老い”の年を重ねる、そのことだけで傷つけられるのに、今は、社会的に毎日傷つけられる言葉が、テレビ、新聞から怒涛のごとく吐き出されているのですから、耐えて耐えてという毎日を過ごしているのではないでしょうか。