連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

理解できない感覚、感性

2007-02-19 00:11:18 | 日記・エッセイ・コラム

悪性リンパ腫、悪性腫瘍の化学療法のトップランナーとして自他共に認めている小椋美知則氏による「bortezomibによる多発性骨髄腫の治療戦略」ー我が国における治療成績と」今後の展望ーという講演が仙台で行われた。

bortezomib;ボルテゾミブ=ベルケイドのことです。

4施設で行われたそうである。優秀な治験デザインで、1症例が、投薬後、2度にわたる間質性肺炎を罹患し、2度目は84日後に死亡された由。家族は納得されて、剖検も施行されているが、1度目の発生後に因果関係ありとしながら、再度投薬しその後同様で、さらに重篤となり死亡の転帰となった。

自主輸入でも間質性肺炎の症例があって、対した治療もされず死亡されているのことが問題となったと非難していた。

間質性肺炎といえば、内科医としての私の感覚からすれば、一度の発生でも震え上がるほどの重大な疾患であるが、2度の発生を許す治験デザインに関して質問したかった。が、去る2006年10月7日の日血、臨血合同総会での国立がんセンター飛内氏に引き続いてこの小椋氏も質疑された記憶と、その後の応酬でも一枚岩となった体制の前の自身の無力さを思い知らされ、躊躇してしまった。アカデミアによるトラウマですかね。自分自身の意気地さなsに忸怩たる思いがしましたが、また同じ目に地元で味わわされたくなかったしです。

治験デザインの優秀さを誇る人による、同一症例で繰り返して投与して2度目の発生で死亡したということの責任は、かような事例があるという発表で喜捨されて居るのだろうか?理解できない感覚、感性という感じで講演を聴いた。

bortezomib=ベルケイドという名前で発売された薬剤は、再発、難反応性多発性骨髄腫を対象としたようだが、PS1,2が対象で、PS3,4は避けるべきといっていた。再発で、3,4を除いた多発性骨髄腫を対象とするって、多発性骨髄腫の初回治療法って一体どんな戦力で臨んでいたのだろう? 東北大学第3内科、仙台血液疾患センタープロトコールMCMP(1990年癌と化学療法17:1481-1487、1991年化学療法の領域7:108-118)は、引用の少ない日本の雑誌にしかまだ発表していないので、無視されているが、私たちの成績と比較すると、いい薬だと思うので、もっといい成績が出てもいいと思うのだが。日本人が日本の本を蔑んでいるのも‥‥‥自転車操業、貧乏暇無し、人手不足だからななかなか。母国語でない文章作成は遅々として進まず。臨床成績を出すとき、もっと医師の個性、手技も評価できる統計方法って無いのだろうか?ベテランも、新人も同じように出来るということが今の基本なんだろうけれど。

間質性肺炎は小柴胡湯、ゲフィニチブ=イレッサでも話題になっています。肺胞上皮細胞と炎症性サイトカインと間質性肺炎の起序が待たれます。

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