恩師宇塚は、出勤早々、開口一番に「吉本隆明が死んだそうだ。」
60年安保の激突を間近に過ごした、中学、高校時代
70年安保は大学で迎えた全共闘世代の一員として、
埴谷雄高、羽仁五郎、高橋和巳、大江健三郎とともに
その発表する”思想”に注目したが、傾倒はしなかった。
考え方は変化するし、その変化が受け入れがたいとき、
傾倒は、表出故に仇となり、無駄なエネルギーを費やすことになる。
自己の確立には、真相の意識をあぶり出すには、
他人の意見は役に立つが、それだけのこと。
吉本隆明の1996年8月3日、西伊豆海岸での溺水、瀕死事件。
入院中のメモ(日記)で、
8月13日”無償と言うことの重要さ。”
8月15日”医師の求めるのは、静的な真空状態での身体の優等生的な健全ということだ。”
8月16日”入院は、真空名空間のなかの身体の生活行動の静止だ。”
8月17日”個人の幻想が共同幻想と同致してしまうこと
(それれがかってわたし自身がやっと死の定義だ)
はそれ自体が重たいことだということか。
8月24日”病院は……てんヌエ的な箱だ。……病についての留置所だ。
病は罪の一種であるか。”
死の位相学 の増補新版 新 死の位相学 の初めに添えられている。
社会で起きている死と接する経験、
自己の”死”一歩手前の経験が、増補版に加えられている。
1997年、平成9年8月30日刊行
その後も、著述を旺盛に。
死に際しての儀式は、家族との有り様、
社会の接点の有り様に対しての意見は遺したのだろうか。
受け入れがたく耐えがたいでもない変化