連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

吉本隆明死去3月16日

2012-03-16 12:32:18 | 日記・エッセイ・コラム

恩師宇塚は、出勤早々、開口一番に「吉本隆明が死んだそうだ。」

60年安保の激突を間近に過ごした、中学、高校時代

70年安保は大学で迎えた全共闘世代の一員として、

埴谷雄高、羽仁五郎、高橋和巳、大江健三郎とともに

その発表する”思想”に注目したが、傾倒はしなかった。

考え方は変化するし、その変化が受け入れがたいとき、

傾倒は、表出故に仇となり、無駄なエネルギーを費やすことになる。

自己の確立には、真相の意識をあぶり出すには、

他人の意見は役に立つが、それだけのこと。

吉本隆明の1996年8月3日、西伊豆海岸での溺水、瀕死事件。

入院中のメモ(日記)で、

8月13日”無償と言うことの重要さ。”

8月15日”医師の求めるのは、静的な真空状態での身体の優等生的な健全ということだ。”

8月16日”入院は、真空名空間のなかの身体の生活行動の静止だ。”

8月17日”個人の幻想が共同幻想と同致してしまうこと

(それれがかってわたし自身がやっと死の定義だ)

はそれ自体が重たいことだということか。

8月24日”病院は……てんヌエ的な箱だ。……病についての留置所だ。

病は罪の一種であるか。”

死の位相学 の増補新版  新 死の位相学 の初めに添えられている。

社会で起きている死と接する経験、

自己の”死”一歩手前の経験が、増補版に加えられている。

1997年、平成9年8月30日刊行

その後も、著述を旺盛に。

死に際しての儀式は、家族との有り様、

社会の接点の有り様に対しての意見は遺したのだろうか。 

受け入れがたく耐えがたいでもない変化

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