大学は、夏期休暇期間に入り、ため込んだ雑事を果たすために、
昼日中に、バスに乗り、通勤時間帯とは異なる人町の気配を感じた。
高齢者が行き交う町。
昔の記憶をたどっても、高齢者一色の景色は浮かんでこない。
特に夏は、どこにでも子供の姿があった。
65歳以上の人口が50%以上を占める集落を、
危機感をもって社会学者 大野晃氏が1991年に”限界集落”と提唱。
まもなく、限界集落構成員にカウントされる年齢になるという自覚がない私。
65歳以上の占める割合が、2020年には、29%と試算されている。
いまや、高齢者は75歳以上でという施策は、
誰が稼いで養うかという直面している”金”問題と、連携直結している。
生産、他者を支える体力に思い至るとき、
また、社会システムとしての労働対価として金銭を受け取れる仕事の存在を考えると、
都会は、より厳しい限界集落が待ち受けていそうな気がする。
衝撃的であったのは、山口連続殺人事件。
14人の集落で、5人が1人の都会からのリターン者による殺害。
農業、林業など定年のない仕事はあふれていただろう。
過疎とは、人と人との関係は、濃密とならざるをえない。
さらに、避けたいとき、避けられる環境が少なく、
カタルシスの機会は、個人の努力で創出しなくてはならないことが多くなる。
歳を重ねる程に、記憶は蓄積し、
我執に捕らわれやすい、移動が制限さえるような体力、環境のときに
感情が暴発すると、戻れない事態にまで達してしまう事件であった。
イザとなれば、自由である!固執することはない!
出て行こう!他に行こう!
と行動できる強さを持てる体力、精神力が無ければ、追い詰められていくでしょう。
75歳以上のいわゆる後期高齢者は可能か?
自立的ではなく。他動的に迷惑排除的に、施設に移動、居住させられる現状。
受け入れた方が多分良いような気がする。