お盆のお迎え前に墓参り。
墓は、自分の永遠の棲家となる所なのだ!と今年は強く実感しました。
どうしてなんでしょうか。
歳を重ねしなければならないことから解放され、期待もされなくなり、死ぬべき時が近づいたという、漠然とした実感というものかもしれません。
仏教、神道、キリスト教それぞれの聖職者が身近に存在していたので、宗教の選択を幼少期から意識しました。
神の存在を信じ、近づく道としての宗教として、
水豊か、気温は過酷ではない日本になじめる宗教、日々の生活に、先祖も、父母も共にいる所で抱かれたいと仏教を拠り所とくしましたが、家の墓を永遠の棲家と、心に沁み渡ったのは今回が初めて!
突然降って沸いたような心の変化で、明日から変わることがあるだろうか?
2回は、意識もなく死に限りなく近づくも、❰まだ早い。やることがある。❱と大きな手で戻された記憶がある。
今度は、大きな手を差しのべ手くださる時まで、出来ることをやりながら、死ぬ迄生きていこう。
仏教では、新紀元として戒名を授かる。