自分は本当の渡世人なのかも知れない…などと思えた時期もあった。
渡世人と云う言葉に何となく魅了されるのであろうか。
当方の長男が東京新宿で「茶会記」と云うジャズ喫茶を営んでおります。
彼の先週配信のブログに【店主・日記12月17号に、渡世人と猫との会話と云う内容】が書かれていました。
この「渡世人」と云う意味を辞典で調べると、無職渡世人の意味だと云います。
つまりは、各地の博打(ばくち)打ちのもとを渡り歩き、博打を打ったり、小遣い銭を貰い受けたりした博打(ばくち)打ちの「チンピラヤクザ」と云う事になります。
同じく任侠と云う意味を辞典で調べると、任侠(にんきょう)とは、仁義を重んじ、困っている人、苦しんでいる人を見ると放っておけず、彼らを助けるため自分のカラダ張る、自己犠牲的な精神を意味するのだそうです。
渡世人はバクチ打のヤクザ者、任侠人とは人のために尽くす善人と云う事になります。
私の師匠は腕の立つ鉄骨トビ職の親方であり、また荒くれ男達をまとめる寛容力も備えていました。
その荒くれ男達を私は渡世人と思っていたのですが、師匠も、彼らも博打などを行ったのを見た事も、また誘われた事もありません。
若かりし頃のトビ職稼業は、飯場(工事が終わるまで泊まる宿舎)暮らしでした。
一宿一飯、義理人情、そして先輩後輩のけじめなどは徹底的に教わったものです。
つまり私達のトビ職の世界は、渡世人ではなく任侠人だったのか…
とは云え、飯場にはかなり気短い、乱暴者も少なくなかったような記憶があります。
それでも当時、辛いとか、辞めたいとかと思った記憶は一度もありません。
「昼間トビ職、夜は流しのギター弾き」と云う十代後半の時期こそが私の輝いた青春だったのでしょう。
このような生き様が果たして渡世人か、任侠人か、自分でも判別がつかず…
写真はホワイトクリスマスを演出したかのような大雪に見舞われる今日の北斗市本社です。

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渡世人と云う言葉に何となく魅了されるのであろうか。
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彼の先週配信のブログに【店主・日記12月17号に、渡世人と猫との会話と云う内容】が書かれていました。
この「渡世人」と云う意味を辞典で調べると、無職渡世人の意味だと云います。
つまりは、各地の博打(ばくち)打ちのもとを渡り歩き、博打を打ったり、小遣い銭を貰い受けたりした博打(ばくち)打ちの「チンピラヤクザ」と云う事になります。
同じく任侠と云う意味を辞典で調べると、任侠(にんきょう)とは、仁義を重んじ、困っている人、苦しんでいる人を見ると放っておけず、彼らを助けるため自分のカラダ張る、自己犠牲的な精神を意味するのだそうです。
渡世人はバクチ打のヤクザ者、任侠人とは人のために尽くす善人と云う事になります。
私の師匠は腕の立つ鉄骨トビ職の親方であり、また荒くれ男達をまとめる寛容力も備えていました。
その荒くれ男達を私は渡世人と思っていたのですが、師匠も、彼らも博打などを行ったのを見た事も、また誘われた事もありません。
若かりし頃のトビ職稼業は、飯場(工事が終わるまで泊まる宿舎)暮らしでした。
一宿一飯、義理人情、そして先輩後輩のけじめなどは徹底的に教わったものです。
つまり私達のトビ職の世界は、渡世人ではなく任侠人だったのか…
とは云え、飯場にはかなり気短い、乱暴者も少なくなかったような記憶があります。
それでも当時、辛いとか、辞めたいとかと思った記憶は一度もありません。
「昼間トビ職、夜は流しのギター弾き」と云う十代後半の時期こそが私の輝いた青春だったのでしょう。
このような生き様が果たして渡世人か、任侠人か、自分でも判別がつかず…
写真はホワイトクリスマスを演出したかのような大雪に見舞われる今日の北斗市本社です。

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