台湾国内の各地に私達の見慣れた二宮金次郎の像が今でも多く在る事を知る日本人は少ないと思います。
読売新聞のコラムにこの記事が載っていました。終戦までの50年間は、日本が台湾を統治しておりました。
読売新聞の記者は、幼少の時より、勤倹力行の象徴として敬ってきたあの二宮金次郎の像が台湾に在る聴き取材したそうです。
1年前に二宮金次郎像があるとの噂を確かめるため足を運んだのは、台北近郊の観光地、金瓜石の道教廟「勧済堂」の敷地内。
約1メートルの像は読書をしながら薪を背負って歩く少年像(写真はネット画像)で、日本の何処の小中学校校庭の風景の一部、二宮金次郎像です。
二宮金次郎は、江戸時代に生まれ、農民から幕臣にまで昇格した立志伝中の人物です。
報徳、勤労の生涯を貫き600を超える貧困の村の民を救った人と云われます。
「代表的日本人」の一人だとする識者もおります。
戦中に台湾各地にあった銅像は、金次郎に限らず戦時供出で撤去され、残ったのは石像が殆どだそうです。
戦後、金次郎像は、大陸から渡った国民党政権によって撤去され孔子像や蒋介石像に変えられ、残っている金次郎像は特に希少です。
「客家の美徳である質素、勤労、勤勉を見事に体現した彫像」と記載された文献があり、台湾桃園県の平興小学校、校長室に40センチの貴重な銅像があるそうです。
これは純日本風で、「貧しくても二宮さんのように努力を重ねれば報われる」と、生徒に教える教材となっていたのでしょう。
二宮像が幾つ台湾に存在するのかは定かではありませんが、それだけに像と出会えた喜びは格別だったそうです。
記者は、台湾の地方へ出かけるたびに、地元の人々に心当たりはないかをたずねるのが習慣となったと云います。中華思想の根付く台湾で日本の美徳象徴である二宮金次郎像を見る事で、改めて報徳、勤労の精神を問い直したいものです。
今日は朝からみぞれや雨が降り続く東京でした。
世田谷に住む孫達と楽しい時間を過ごす事が出来ました。
明日の午前は神奈川に行き午後のフライトで北斗市へ…
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1年前に二宮金次郎像があるとの噂を確かめるため足を運んだのは、台北近郊の観光地、金瓜石の道教廟「勧済堂」の敷地内。
約1メートルの像は読書をしながら薪を背負って歩く少年像(写真はネット画像)で、日本の何処の小中学校校庭の風景の一部、二宮金次郎像です。
二宮金次郎は、江戸時代に生まれ、農民から幕臣にまで昇格した立志伝中の人物です。
報徳、勤労の生涯を貫き600を超える貧困の村の民を救った人と云われます。
「代表的日本人」の一人だとする識者もおります。
戦中に台湾各地にあった銅像は、金次郎に限らず戦時供出で撤去され、残ったのは石像が殆どだそうです。
戦後、金次郎像は、大陸から渡った国民党政権によって撤去され孔子像や蒋介石像に変えられ、残っている金次郎像は特に希少です。
「客家の美徳である質素、勤労、勤勉を見事に体現した彫像」と記載された文献があり、台湾桃園県の平興小学校、校長室に40センチの貴重な銅像があるそうです。
これは純日本風で、「貧しくても二宮さんのように努力を重ねれば報われる」と、生徒に教える教材となっていたのでしょう。
二宮像が幾つ台湾に存在するのかは定かではありませんが、それだけに像と出会えた喜びは格別だったそうです。
記者は、台湾の地方へ出かけるたびに、地元の人々に心当たりはないかをたずねるのが習慣となったと云います。中華思想の根付く台湾で日本の美徳象徴である二宮金次郎像を見る事で、改めて報徳、勤労の精神を問い直したいものです。
今日は朝からみぞれや雨が降り続く東京でした。
世田谷に住む孫達と楽しい時間を過ごす事が出来ました。
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