豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

男が涙を流せる時とは…北斗市

2014-07-09 18:05:29 | ファース本部
公費の不透明な使い方をした県会議員、自らがセットした記者会見で、大声を張り上げ、顔をクシャクシャにて号泣した出来事は、世界のマスコミが面白おかしく報道しています。
日本の男性は、あのような場面で泣いてはいけないのです。
同じ日本の男としてあの「だらしなさ」は、屈辱的な情けなさを感じてしまいます。

樹木の葉っぱが色付き、その葉っぱに強い雨が弾け飛ぶこの時期になると鮮明に想い出す出来事があります。
40年以上も前になりますが、山深い林道の橋梁新設工事現場で、一人の鉄骨トビ職が不慮の事故で命を落としました。
その日は工期が迫る突貫工事で豪雨の中で作業をしていました。
彼は足を滑らせて深い沢に滑落し、全身打撲で重体に陥りました。

当時トビ職だった私も含む工事現場の面々は、親方が手際よく拵えた木板の台に彼を乗せ、手渡しで沢から運び上げ、救急車の入れる道まで担ぎ出しました。
「死ぬなよ!」腹の底から絞り出すような親方の声が今でも耳に残ります。
しかし……救急車を待つ事もなく彼の息は絶え、懸命な心臓マッサージも虚しく…

彼は私より8歳年上でした。
とんでもない暴れ者で、何回も警察沙汰となるような暴行事件を起こした事もあります。
しかし誰よりも人情に厚く面倒見の良い男でした。
当方が、バイク転倒で怪我をし、歩けなくなった時は背中に背負って1時間もかけて飯場まで運んでくれた事も。山奥の飯場(仮設宿舎)でご飯を炊くオバサンの手伝いで、深い沢まで降りての水汲みは、若輩の私の仕事ですが、彼も一緒に付き合ってくれるのです。

彼も中卒で15歳の時に親方に拾われ、飯場暮らしとなり、25歳になったばかりでした。
粗暴な性格ですが仕事も一生懸命で私とはチーム組んで一緒に仕事をする機会が多くあり、親方からも信頼され、翌年には彼とともに独立するよう親方から促されていました。

息をしない彼の亡がらを前にして、師匠である親方の顔を滴るのは、雨のそれではなく、親方の目から嗚咽を堪えて溢れ出る大粒の涙でした。
あんなに強い、男らしい親方の涙を目にしたのは初めてでした。
台風8号の影響か、時折降る雨に濡れた広葉樹の葉っぱを眺めていると、何故か今は亡き40年前の親方の頬を伝う涙を想い浮べてしまうのでした。男が涙を流せる場面とは…

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