昨日より今日は確実に1日分の年齢を重ねました。
年齢を重ねる分だけ確実に経験をも積んでいます。
寝ていても、目にする天井の染みや壁との納まりなどで関わった人々の営みが見えます。
人の営みが見えるようになれば、きっと人の生活観も見えてきそうです。
昨日良かったことは、そのまま今日も良いとは限りません。
昨日と今日では、自分の体調や周りの環境、条件、背景などが一緒でありません。
「毎日の今日」に、何らかの工夫を加える思考が必要のようです。
生きているかぎり必ず今日があります。
それも昨日と異なる今日です。
必ずどこかは昨日と今日は異なるのです。
私達のカラダは、確実に一日分の命を使い果たしました。
しかし、積んだ智慧や工夫は確実に進化しています。
若い人は、体力、持続力、忍耐力、吸収力なども溢れていますが経験が多くありません。
経験があっても、それを発揮する機会を創造することも必要です。
インプットしてはアウトプットしなければ、幸せを呼び込むことが出来ません。
「今日は昨日」とまったく同じ今日ではありません。
写真の、デスクの上の鉢植えの葉っぱは一日で此処まで成長しました。
「#ファース工法」「#空気サラサラ」「#ファースの家」「#福地建装」「#フクチホーム」