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先般ある会合で出会った年配の方は、私の鉄骨トビ職時代の「飯場(工事宿舎)に泊めて頂き、飯を食わして貰った」と、鮮明に覚えておられました。
私は既に殆ど忘れておりましたが彼は、忘れられない「一宿一飯義理人情」だと話します。
そもそも義理、人情という人間関係は、昨今はとても希薄になっているような気が致します。
個人情報保護法なる法律が施行されてからは、他人のことを知ってはいけない風潮になっているようにも思われ、「匿名社会」になりつつあるようにも感じます。
私達は、単独で絶対に生きて行けないのにも関わらず、匿名主義、秘密主義で、人の心の開かれた社会を構築できなくなる事をとても危惧します。
私は、他人に優しくした分だけ、自分にも優しくなれるのだと思われます。
優しさの中に真の優しさは存在しませんし、真の優しさは、厳しさの中にこそ存在します。
私のトビ職の修行時代に過ごした時間こそ、厳しさの中の優しさを垣間見たときでした。
私がもっとも尊敬する唯一の師匠は、任侠の世界でも一定の存在感が彼も「登り龍・下り龍」の刺青が上半身に彫られておりました。
一宿一飯・義理人情とは、高倉健の任侠ヤクザ映画の(画面)を思い浮かべてしまいます。
男気と任侠を勘違いしているチンピラヤクザや半グレ集団も大勢います。
一宿一飯・義理人情とは純真に恩義を受けた人の温情を忘れずにいる気持ちです。
浪花節的な響きに聞こえますが私は、人間社会の大切な生き様でもあるように思います。
今はコロナウイルス禍で人生って厳しく辛い事の方が多い気がします。
この厳しさの中にこそ見出した優しさこそが、きっと本物なのでしょう。
多くの人々の支えや義理人情で「#ファース工法」が産まれ、よって今があります。
この一宿一飯の恩義は、絶対に忘れないようにしなければならないと肝に命じています。
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