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斎藤兆史(よしふみ)著、ちくま新書672刊
経歴を見ると、東京大学文学部を卒業の後、米国インディアナ大学英文科修士課程、英国ノッティンガム大学英文科博士課程を修了し、現在は東京大学総合文化研究科准教授とのことです。著作によると、著者は将棋や合気道を趣味としているそうで、学問一辺倒ではないようです。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤兆史
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程度には大いに差はありますが、著者と私の考え方が似ており、非常に納得して読了しました。何十年か前に読んだ本に、家事の仕草の美しさを説いた著作で述べていたくだりを思い出しました。確か以下のような趣旨であったと記憶しています。
「かつて日本の中流家庭でお手伝いさんに田舎の娘を雇い入れると、その娘にお茶やお花の習い事をさせた。田舎育ち娘は、何事にも不器用で、身仕舞いも仕草も粗雑であるけれども、そうした習い事を習得していくと、次第に美しい所作を身に付けて行くのであった。習い事を通して、体の使い方を覚えて行くのだ。」
私は人一倍不器用で、私にそっくりです。いかにも手つきが不器用で生きることにも不器用です。だから、普通の人が何気なくできることでも、努力しないとこなせないように思います。努力の中身は、理屈を知ること、何度も練習することなどで、何とか人並みに生きて行けている感じです。
しかし本書の唱えている「努力」は、そんなレベルではありません。よく知られた新渡戸稲造や幸田露伴の話が出てきますが、仏教家の川口慧海(えかい)、大漢和辞典を作った諸橋轍次など、気の遠くなりそうな努力の人が登場します。よくあるノウハウ本にはない、生き方、来し方の哲学が感じられた良書でした。また、著者の誠実さと良識が伝わった著作でした。(「あとがき」も素晴らしかった!)
評価は5です。
経歴を見ると、東京大学文学部を卒業の後、米国インディアナ大学英文科修士課程、英国ノッティンガム大学英文科博士課程を修了し、現在は東京大学総合文化研究科准教授とのことです。著作によると、著者は将棋や合気道を趣味としているそうで、学問一辺倒ではないようです。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤兆史
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程度には大いに差はありますが、著者と私の考え方が似ており、非常に納得して読了しました。何十年か前に読んだ本に、家事の仕草の美しさを説いた著作で述べていたくだりを思い出しました。確か以下のような趣旨であったと記憶しています。
「かつて日本の中流家庭でお手伝いさんに田舎の娘を雇い入れると、その娘にお茶やお花の習い事をさせた。田舎育ち娘は、何事にも不器用で、身仕舞いも仕草も粗雑であるけれども、そうした習い事を習得していくと、次第に美しい所作を身に付けて行くのであった。習い事を通して、体の使い方を覚えて行くのだ。」
私は人一倍不器用で、私にそっくりです。いかにも手つきが不器用で生きることにも不器用です。だから、普通の人が何気なくできることでも、努力しないとこなせないように思います。努力の中身は、理屈を知ること、何度も練習することなどで、何とか人並みに生きて行けている感じです。
しかし本書の唱えている「努力」は、そんなレベルではありません。よく知られた新渡戸稲造や幸田露伴の話が出てきますが、仏教家の川口慧海(えかい)、大漢和辞典を作った諸橋轍次など、気の遠くなりそうな努力の人が登場します。よくあるノウハウ本にはない、生き方、来し方の哲学が感じられた良書でした。また、著者の誠実さと良識が伝わった著作でした。(「あとがき」も素晴らしかった!)
評価は5です。
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