私はせっかちです。
年齢を重ねても直らないので、持って生まれた性質なのでしょう。
因みに、昔読んだ本で「性質」は変えられないが、「性格」変えられるとの説があるようです。
だから、せっかちなのは「性質」だと思います。
この「せっかちな性質」は役立つこともあれば、悪い結果をもたらすこともあります。
過去の失敗の多くは、せっかちに結論を出したことに起因することが多いと感じます。
ところが60歳を過ぎてリタイアしてから、少しずつ「待つ」ことが出来るようになりつつあります。
これは加齢現象と、過去への反省の結果と思いますが、上に述べた理屈からすると、加齢現象の影響が多いのかもしれません。
その結果、遣るべき事があっても、仕事ではないから、取り敢えず放置しても問題ないことは、しばらく放置します。
遣らなければならないことも、思い出す度に、「心にチクチク感」が生じますが、更に放置しておくことが出来るようになりました。
よくよく考えてみると、本当にせっかちになったのは社会に出てからです。
それまでは、なるべく後回しにして、好きなことを優先していたようです。
社会に出て、社会的な責任を担うようになってから、本来のせっかちが大噴火した様です。
それからの約40年間は、ひたすらせっせと課題を片付けてきたように思います。
大分老いた現在、「待つ」ことの価値を痛感します。
パソコンの不調や、使い勝手が悪い身の回りの細々とした事に気付いても、見て見ぬ振りをしばらくしていると・・・
あら不思議、簡単、あるいは安価な解決方法が見つかるではあ~りませんか。
これも昔読んで知ったことですが、人間は、何を見たり聞いたりしても忘れてしまうが、それは、思い出せないだけで脳内に蓄積されている。しかも、気に掛かることは、頭の中で密かに考え続けているそうな。
だから、時間が許せば放置する方が良い結果が出ている現在は理想的な状態と言えるのではないでしょうか。
現役時代に痛恨の失敗を重ねて、自分に課したことがあります。
それは、対人関係(例えば部下の育成)、判断を迫られているが確信を得られない時は、最低一晩おいて、翌日の朝、決断する様にしたことです。
無論時間が無い場合もありますが、常にアンテナを張って緊張していれば、そのような窮地に落ち込むことは少なくなると思います。
一晩放置したことで、平静な気持ちで、冷静、客観的に判断できることが多かったように思います。
もっともっと早く気付いたら良かったのですが・・・・。
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