夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

マンハイムのため息

2005年07月14日 13時42分27秒 | 芸術・文化
DATE: 07/14/2005 22:58:34


最初の水琴窟のところでちょっとだけマンハイムのため息について触れました。
マンハイムはバロックとロマン派の音楽の間にちょっとだけ顔を出す音楽の拠点。

でも音楽を専門にやったり、特別な愛好家でなければ、もうマンハイムの音楽のことについては誰も知らないようになってしまいました。でもフルートやリコーダーをやる人にはシュターミッツの名前はポピュラーだと思いますけど、彼もマンハイム楽派の人ですね。モーツアルトも一時期ここの宮廷楽団に就職したかったのです。
マンハイムの音楽はその人々の間にも過渡期の音楽、ロマン派の音楽に大きな影響を与えたことだけが取りざたされています。ソナタの4楽章編成や、マンハイムのため息と言われたクレッセンド、デクレッセンドの演奏法だけが知られているのだと思います。

でも私にとって興味があるのは、このマンハイムの音楽がホールなどに依存しない、楽器の音をストレートに聞かせる音楽だったのではないかということ。バイオリンも決して遠鳴のする楽器ではなく小さな音でも繊細な音を出せる楽器が使われていたということ。
だからこの音楽を再現するのはそれほど問題はないと思う。
ホールにはそれほど気を使わなくてもいい。
ただしそれを演奏できる演奏者と楽器があれば、、、、、、

現在の楽器、これは音楽に留まらず、多くの芸術表現において、大きな音響、インパクトを与える能力がともすれば評価されがち。
繊細さ、緻密さはなかなか売り物にはならなくなった。

もう一つは、小ホールでしか演じられないこのような音楽ではとてもコストがかかりすぎ、ビジネス的にペイしないもので、特権階級のスポンサードがあった当時とは社会状況が違ってきたことも、難しさをもたらしている原因だと思うけど。
何も数が貴重ではなく、本当に判っている人が、一握りでも楽しめるもの、そんなものの生きる場があってもいいと思うけど。


マンハイムは政治的、文化的な繁栄をミュンヘンに奪われ、工業都市として発達してきました。そのため第二次大戦では壊滅的な戦火を受けましたが、他の町がやったような昔の再現ではなく、必要に迫られた町の復興をして、昔の繁栄の財産を殆どなくしてしまいました。ここにはドイツでも最大といわれるバロック様式の宮廷があったりするのですけど、町全体の雰囲気がなくなってしまっています。

何か日本の復興の町作りをドイツで見ているようで、、、、

水琴窟 その2  音色について

2005年07月14日 04時15分10秒 | 芸術・文化
07/14/2005 22:29:00 


ところでこれも数日前に書いた水琴窟の話。
あそこでホールのピッチについて書いていたけど、プロの音楽家でも自分の楽器のピッチには気を使うけどホールのピッチに関しては無頓着な人が多いって書いたよね。
確かに自分でホールのピッチは変えれないし、あるものを受け入れていくしかないのだけど、もっとプロの演奏者たちがピッチについて口にしてもいいのではないかと思う。

ちゃんとしたピアニストであれば、そこは明るくとか、しっとり弾いて欲しいっていうとそのような音色を出してくれる。これはハンマーが当たる瞬間の指の形を硬くしているか、柔らかく柔軟にしているか、そして音の切り方によって音色が変わるのでそれを使い分けているのだけど、
ちゃんとした調律師なら、明るい音色でとか、柔らかくとか注文していれば、きちんとそのような音色を出すように調律してくれる。反響板までは手が回らなくとも、フェルトの質でもある程度音色を変えられる。弟は安いピアノを買って、ハンマーなどをいいのに取り替えて使ってるけど、確かに音色はその投資以上にすばらしく変わっている。

このように楽器の調律や、弾き方、ちょっとした楽器の修正で音色は変わってくるけど、それ以上に大きいのはホールの持っているピッチだと思う。

水琴窟のところで書いたけど、一つの音があって、それが私たちの耳に聞こえるときには、その音が周りの環境によって変化したものを聞いている。まったく反響のない、周りの影響のないところでの音はストレートに聞こえてくる。ピアノのような反響板をもった楽器や、バイオリンのように反響室を持った楽器ならある程度自分の楽器のストレートな音を聞かせることもできるけど、フルートのような殆ど反響室を持たない楽器ではストレートの音はとても聞けたものじゃない。これは部屋の反響を前提に作られている楽器だから。

ここで一つ問題は演奏者たちの多くは自分の楽器のストレートな音を聞いている。聴衆の耳に届く音を聞けないこと。
(バイオリンなどで遠鳴のする楽器というのがある。近間のストレートな音はがざがざした音でしかないけど、離れたところではすばらしい音色で、音も大きく出るような楽器がある。友人がコレクターの楽器を弾いていたことがあるけど、家の中で練習しているのを聞くと、ゴオゴオという音しか聞こえない。驚いて何でそんな音を出してるって聞くと、家を出て遠くで聞いてごらんっていうから、何軒か先で聞いているととてもすばらしい甘い音色の音が聞こえてくる。こんな楽器があるんですよね。もっともこの楽器に当たって、その音色を引き出すのにはちょっとした才能が必要なのかもしれないけど。こんな楽器を使いこなせる演奏者はストレートの音と、ホールの中で聞こえている音の区別がついて、聴衆の耳に届いているであろう音色を想像しながら弾いているのだろうと思う。)
ホールの持つピッチが低ければ、自分の耳に届いているストレートな音よりも低い倍音が強調され、荘重な音、しっとりした音色に聞こえているし、ピッチが高ければ明るい音色が聞こえているはず。

音楽家が楽器のピッチのこだわるのも本当はその音色の問題だと思う。442で調律されている音を聞きなれていれば、443になっていれば、高い、明るいというような感じを誰もが持つのだろうと思う。人によっては442.1でも区別がつくはず。
(音楽家の弟に寄れば、プロはコンマ1桁の差まで判らなければいけないそうだ。演奏の途中で管は上がるし、弦は下がる傾向がある。演奏会の途中で奏者が音合わせをしているのをご覧になったかたも多いと思う。プロはそこまで調整しながら弾いているのだから。)
一時期アメリカ風のはでな音が好まれたときに世界のオーケストラのテンポやピッチがどんどん上がっていって446くらいまで上げたものを聞いたこともある。(今は収まる傾向にあるけど)
アンサンブルのソリストはピッチを微妙に上げたがる。それはアンサンブルの音の中で自分の音を聞かせたいから。

でも楽器の音色、ピッチにそこまでこだわるのなら、ホールのピッチ、残響、アクースティックにもっとこだわりを持って欲しいよね。

音楽にも、建築にも素人が何を言うかって言われれば、何もいえないけど。素人だから言えることもあるかもしれない。自分の専門だと、いろんな差しさわりがあるから。私はビジュアルアートに関しては何も申し上げません。だって何か言って干されても怖いもんね。