夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

指定管理者制度

2005年07月15日 15時26分38秒 | 芸術・文化
DATE: 07/15/2005 00:53:20


あまり本業のほうは差しさわりがあるので書きたくないのだけど、指定管理者制度が今話題になっている。もちろん私の周りでの話は文化面の問題だけだけど。

2月にあったある地方都市での会議で、市側が政府から言われているので、7月までに400以上のサービスを指定管理者にまかせなければならないと発言、あまり急な話でちょっと大きな問題となった。会議はその都市の文化政策などを話し合う会議であったけど、それまでには指定管理者の問題は一切なかったのだけど。政府から言われていて、全てのサービスを指定管理者にしなければならない。免除できるケースは3っの条件だけということ。

実はこの都市がある県の美術館、博物館の運営が指定管理者に移行するというので、希望する団体を募ったら、応募がなく、一つは県外のマネージメント会社へ、もう一つは因果を含めて団体に押し付けた形になっていたことを会議の前のゴシップとして委員で話しをしていたばかりだった。

確かに大都市で、そのような能力を持つ団体がいくつも存在するところでは、このような制度はむしろ進歩なんだろうと思う。そしてこのことへの取り組みなどの新聞発表も殆どの事例が大都市圏の話ばかりが取りざたされていて、歓迎ムードがむしろ当たり前のような状況。後は現場にあわせて、何をどこまで、移行するのかといった技術的な側面だけが取りざたされていた。

でも大多数の地方都市ではむしろそのような団体がまだ未成熟なところも多い。あまりにも性急な指定管理者への移行は何のメリットももたらさないのではないかと、私には心配に思えてならない。
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立ち姿

2005年07月15日 15時21分41秒 | 芸術・文化
DATE: 07/15/2005 00:49:32


人のブログを覗きに行って、俳優は後姿で見るというのがあって、なるほどと思ってたけど、私もだいぶ前のことだけど、立ち姿ってことで、ある舞台女優の言葉を紹介したことがあった。プロのアーティストなら舞台に立つだけで、その人の舞台に賭ける気持ち、真摯さが解かるっていうのだけど、確かに作品のテクニックとか、演出とかといった以上に作品やステージ、演奏、あるいはそれ以前のアーティストから直接心に響いてくるものを感じることがある。

例えばゴッホの麦畑。ゴッホ美術館で大掛かりなゴッホ展が開かれたときに、有名な麦畑も展示されていた。それはそれですごいと圧倒されたけど、その隣にもうちょっと小さな麦畑の絵があり、それはもしかしたら知られている麦畑より前に描かれた習作的なものだったのかもしれない。テクニック的にも構図的にも、知られているほうがすばらしいと思ったけど、私はこの小さなほうの麦畑に、背筋がびりびりくるような緊張感と怖さを感じた。荒削りの作品の中にゴッホの思い、執念がもっと強く出たということなのだろうか?

あるお茶のお家元のお茶会で、最初若宗匠(今のお家元)がお茶を点て、ついでお家元が点てられた。若宗匠のお茶はリズム感があり、流麗でそれだけを見れば満点以上のお茶であったけど、その後のお家元のお茶は見ていて、心が和む感じを与えるお茶で、流石としか言いようのないすばらしさだった。

ホロビッツがさよなら公演(2回目のやつ)で来日したとき、思ったのは、彼のミスタッチが気にならないということ、一つ一つの小さな傷が気にならないほどに全体の感じがすばらしい。私はホロビッツというピアニストはそれほど好きなピアニストではなかったのだけど、(私の世代ならルービンシュテインなんかが神様だった)その年輪から来る完成さなんだろうか?

ほんと、やれテクニックだとか、目新しさだとかで、作品を飾り立て、綺麗だねとか、奇抜だねっては感じても、心に何も訴えるもののない作品ばかり見ていると、本当はアートなんてテクニックの問題ではないのだなって思えたりする。でも日本の画廊って、作品を見るときにテクニックしか見ないよね。悲しいことに。

それがリハーサルであっても、ステージの中央に立ち踊りだす瞬間に、気持ちに何か伝えてくる人がいる。このような人の踊りは、演出などは別にして、踊りとしてはすばらしいものになる。

ところで最初の人のブログで、後姿で見るというのは始めて聞いたので、次からは舞台の袖で見てみましょうって書いたけど、私にとって人の袖って手を入れるところ、でも横から眺めるのもいいかもね。特に単の季節になってきたし、若い綺麗な女性なら、、、、

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