夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

この罪作りめ

2010年09月16日 11時23分03秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


玉の緒よ絶えなば絶えね
 存へば忍ぶることの弱りもぞする
       式子内親王
       新古今集 11-1034

さて、今日はチビ太の日記(ボクとおいちゃんと、、、、)と、気になる詩、言葉のコラボでござんす。

式子内親王の詩。
玉の緒(命のことね)よ 絶えるのなら絶えてしまえ
存(ながら=生きて)えていれば、一生懸命心に秘めているこの恋心を隠せなくなる

じっと心に秘めているこの恋心、でももう苦しくって隠しおうせないくらいに苦しくなってきた。




恋の歌に、なんで、チビ太の写真かってお聞きですか?
それがね~
昨日も、散歩の途中で女の子に声をかけられたけど、チビ太はまったく興味を示さなくって素通り。おいちゃんは多摩川にでも身を投げようかとするように嘆き悲しんでいるその子に「ごめんなさい。チビ太は美人には興味がないので」って下手なフォローで忙しかった。
昨日は野球の女子マネ。先日はラクロスの選手。
そしてもちろん、あの可愛い豆柴の女の子。
みんな、夢中になってしまって、
ほんとチビ太は罪作り。

でもまぁ、ちょっと下を向いた、何か考えているかのような、少し寂しげなチビ太の姿。女の子なら、狂っちゃうよね~
これからも、せいぜいフォローしていかなきゃいけないでしょうね。
仕方ないか。

不精  露と消えた私のライフワーク

2010年09月16日 09時11分50秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
しばらく不精をして日記を更新していなかったら、怪鳥さん始め、いろんな方からメールを頂いたりして、「死んでない?」って聞かれました。
「死にました」って答えてもよかったんですけど、せっかく気を使って下さる方に失礼ですよね。
「まだ、生きております」って返事をいたしておりました。
不精はひげくらいにしておいたほうがよろしいですな。


先日の「写真展」に「やれやれ!」って励まし(たぶん)のコメントを頂いておりました。

それには、自分で何かを書いたり、作ったりして発表するのは子供のときからの夢だったけど、夢を持つと同時に、自分の創作能力のなさに気がついて、、、
だから仕事も人の仕事を紹介するような仕事を選んだので、仕事をしているときで、しがらみにがんじがらめになってどうしても引き受けなければいけないようなら別だけど、仕事を離れて、この歳になってまで何かを作ったり、意見を言うような恥はかきたくないってお返事しておりました。
(この日記は路傍の草だからって言いながら、最近、プロフィールに実名を出してきたのは、まだ色気が残っている証拠かな)

もっとも、アートマネージメントの授業に携わっていて、学生さんたちにお話をしていたときに、教授から、「この仕事に携わってよかったと思うか」って聞かれて、「ほんとうにいいマネージャーなら、何年か仕事をしてくると、自分の方がより素晴らしいものが作れるって思いに駆られることがきっとある。そしてそんな思いがだんだん強くなるから、欲求不満になる」って答えて、教授の苦笑をかってしまった。
もちろん、その教授はこれからその道に入ろうかと言う学生さんたちにばら色のイメージを与えたかったんでしょうけど、、、
それは分かっていたけど、それ以上に、マネージャーなら作品を作れなくとも、作家の思うところ、目指しているところ。技術的な問題、、、いろんなことを作家以上にきちんと把握できていなければ、人様には勧められないよって意味もあったのですよ。

物を作れない腹いせに、批判精神ばかり研ぎ澄ましてきた自分の目から見ると、今、書いている日記や写真は、どうにもこうにもならないもの。
昔、よく言っておりました。
見ないでもにっこりして「すごいね~」って言える作品。
だって、どうやってもそれ以上になれない人を駆り立てても仕方がないでしょうってね。
そのレベルでしかないのですよ。

でもほんとうは、一つだけ、やりたかった夢があったんだけど、、、
機会があって、地方の新聞に半年ほどコラムを持ったのです。
ちょうど仕事が猛烈に忙しいときだったのですけど、それを書かせてくれるというのでお引き受けしました。
半年と言う話が、終わりに近づいてもなにも連絡がないので、続けられるのだろうってのんびり構えておりましたら、最終回に急にこれで終わりですって連絡が来て、あわてて取り繕って終わってしまいました。

しばらくして、学者さんたちの集まりに出ましたら、集まった方から「あの終わり方、ずいぶん唐突だね~」って言われ、「えっ、先生、読んでくださってたのですか」って聞いたら、誰かがこの連載に気がついて、別な集まりでその話をされたらしくって、いろんな方がその新聞をとってくださっていたんですね。
ほんとうに小さな地方新聞だったし、新聞社にはなんのリアクションもなかったようなのですけど、学者さんたちの情報網って凄いな~って驚いておりました。
なかでも、一人、当時の東大の史料編纂所の所長をなさっていた方が、「風車さん、あれ凄く面白かった。終わりをちゃんとして、本にしようよ。私が本屋を紹介するから」っておっしゃってくださった。
これは本当にうれしかった。
私が一番気にしていた分野だったからね~
でも、仕事をやめ、しばらくチャージだ~ってぶらぶらと不精していたら、その先生、亡くなってしまった。
残念。せっかくのチャンスを、自分の不精でつぶしてしもうた。

結局、この日記もその分野の関連のものはほとんどない。
この日記で、検索が一番多いのは、料理、そして漢詩、あとは岬にあるゲイのシークレットビーチ。。。。
そんなもんですな~ とほほ。