今朝、読者登録していただいた方が万葉集を引用していることに言及されていて、、、、
おいちゃん、すぐに天に昇っちゃった。。。。
あ~ぁ、ほんと、馬鹿と煙は、、、、あんな高さに昇っちゃったのを引き戻すの大変なんだから、
だってチビ太、肩の高さ40センチしかないんだし。
なんてことは言わないで、万葉集、万葉集。
茅(チガヤ)って結構万葉集にはポピュラーな題材だったんですね。
だって、どこにでもあるんだし。生えてくると、道路のアスファルトまで壊したりして、、、
だから、極悪非道トップ100選に選ばれちゃったくらい。(世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種)なら、品種改良して砂漠に植えて温暖化防止に協力させればいいのにね~って思うのはチビ太くらいかな。
とにかく、万葉集のチガヤは(アサジ(浅茅)、チとか、チバナとか、ツバナとも呼ばれているそうですよ)どっちかというと物寂しいイメージを持っているんですね。これが一面に生えている状況ってのが物悲しい場所なんですかね。人手があるところなら、それでも刈り取られているけど、これが一面に生えているということは人でもない場所ってことなんでしょうね。
浅茅原 つばらつばらにもの思(も)へば
故(ふ)りにし郷し思はゆるかも
大伴旅人
万葉集 3-333
チビ太の話はこれで終わってっと、おいちゃんにバトンタッチ。
ちなみに、時代はずっと下がるけど、雨月物語の浅茅が宿はやっぱり千葉県なんですよ。
さりともと思ふ心にはかられて
世にもけふまでいける命か
妻の宮木が死に際に書き残した詩ですね。
それに対して勝四郎が詠んだ詩が
いにしへの真間の手児奈をかくばかり
恋てしあらん真間のてごなを
真間の手児奈ねぇ~
知人の紹介で茶道具のコレクターのところに行ったのですけど、お師匠さんに同道をお願いしたら、お茶碗の一つを見て、これはどっかで見たことがあるって言いだして、家に帰って調べてみて、20年近く前に真間のお寺でコレクターの方の道具を使ったどこかのお流の御家元のお茶会があって、その時に出されたお茶碗だったって、、、
遠州さんの展覧会では、後ろを歩いていたもう80は優に超えたようなちょっとお年を召された婦人が二人、「このお茶碗、御家元が7年前の初釜で使われたものかしら」「よく似ているけど、ちょっと違う感じがする」なんて話されていて。。。
私も、もう何十年も前の話だけど、すれ違った人から、胸に挿していた袱紗(2~3センチしか出てないはずなのに)「友湖さんのものですか?」って聞かれて腰を抜かしたことがあるんですよ。先先代のものだったんですけどね。
道を究めるって凄いことだって書いてましたかね~
この前の日記の
道の辺の荊の末に延ほ豆の
からまる君をはがれか行かむ
丈部鳥
万葉集 2-4352
も千葉県でしたよね。
千葉は東海道の終点だから、かってはもっと栄えていたんですよ、、、、かってはねぇ。