おいちゃんが仕事をしているころ、外人と日本人のカップルに会ったことがあるそうです。もちろん、それだけならどこにでもいるカップルなんですけど、この二人、互いにまったく言葉が通じない。それでいて何年も生活しているのだそうです。そのころはおいちゃんは、首をかしげて、そんなカップルが存在できるのかな~って思っていたそうです。

でも、チビ太と暮らすようになって、なんとなくそれがありだと思えるようになったそうです。
だって、朝起きて、おいちゃんが起きてこない、チビ太、つまんないし、ご飯も欲しい、だからおいちゃんを起こしたいって思えば、ベッドに顎を載せておいちゃんの顔を覗き込めばいい。前足でおいちゃんを起きろって起こすことはほとんど必要ないんです。

お腹がすいても、おいちゃんの顔をじっと見つめていれば、お腹すいたの?って、お皿にご飯が載る。

それでもわからないときには、おいちゃんがチビ太の方を見た時に、チビ太はご飯のお皿の方へ歩いていけば、おいちゃんはわかってくれる。

散歩に行きたいときもそうね。行きたいな~って思いだしたら、ベランダの方へ行く。おいちゃんは窓を開けてくれるので、ベランダから外をじっと見ている。でも、これは行きたいかな~ってくらいな時。おっしっこしたくなったりして、どうしても行かなきゃいけないときには階段の上に行って、おいちゃんの方へ戻ってきて、また階段の上に行く。それでも、おいちゃんがぐずぐずしていたら、どどどって階段を下りて行って、玄関のドアの前で座り込む。これじゃ、おいちゃんじゃなくってもわかってもらえますよね。

チビ太、おいちゃんに向かって吠えたことは今まで一度もない。普通に、ワンワンって口を利くこともなかった。それでもおいちゃん、チビ太が必要なことはちゃんと分ってくれる。

今日は、お昼過ぎに散歩をしました。おしっこをして、もっと散歩したかったけど、どうしてもヘルニアには安静が必要なのだそうで、仕方なく帰ってきました。

でも、夜になって、落とし物をしたいと、、、 だって、チビ太、もう一週間近く落とし物をしてないのです。このとこ、散歩もおいちゃんの家からでてすぐに帰ってしまう。チビ太にとっては、自分の極めて巣に近い領分、こんなところに落とし物はしないんです。だから、もう暗くなってしまっていたんですけど、散歩に行くって、階段の上まで行っておいちゃんの顔をじっと見つめたんですよ。おいちゃん、今日の運動はもう終わったし、、、って、随分考えていたけど、けっきょく負けて、チビ太を散歩に連れ出してくれました。玄関に出て、おいちゃんはそのまま歩いて行こうとしたんですけど、チビ太は、いつものコースじゃ、近すぎて落とし物できないので、車のドアのところに行って、じっとドアを見上げていたんです。それでおいちゃんも理解して、チビ太を車に乗せ、免許証を取ってきて、ドライブに出かけました。
近くのスーパーの駐車場、、、24時間や遅くまでやっているお店があって明かりがついているので、おいちゃんはここが楽なんですね、、で散歩させてくれましたが、叢はたくさんあっても、チビ太、ここでは落とし物したくなかったので、歩くだけ。
おいちゃん、仕方なく、チビ太をいつもの散歩コースの平坦なところに連れて行ってくれました。
もう三週間近くもこのコースを歩いていない。チビ太たちの鼻はとても優秀なので、歩いていれば、どんな仲間が来ているのか、仲間たちは元気なのか、、、いろんな情報が入ります。そして、その気になって、二回も落とし物をして、、やっと、犬心地がついた。。。よかったよかった。
って、わかるでしょ、チビ太、一言も、ワンって言ってないし、特に強くリードを引いたり、目を合わせてすらいない。ただ、ちょっとした体のしぐさ、表情、これでこれだけの意思表示ができちゃうんですよ。

もちろん、おいちゃんのちょっとしたリードの引き方や、右とか、左とか、走っちゃいけない、ゆっくりとか、、、っていうのも、チビ太にはわかっているし。意思の疎通もできるんですよね。

なのに、人間同士ってなぜあんなに理解しあえないのかな。
いっぱい言葉を持っているのがいけないのでしょうか?
相手を思いやる気持ちってのがないのかしらね~

今日の写真は、ここんとこ撮ったチビ太の写真を使いまわしてます。
だって、今日の散歩、真っ暗だったんですから、写真撮れなかったんですよね。