夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

静寂  贅沢なひと時

2005年11月02日 12時10分19秒 |  岬な日々
本当は岬に居ついていて、用があるときだけ東京に出てくる生活を夢見ていたのだけど。
サラリーマンの生活に身体の心から慣れすぎたのだろうか、
東京にいて岬に通う生活が今のデフォルトの生活。
東京の持つ刺激、騒音、そしてそれらが象徴している人との絡み合い。
なかなかこれらから完全に自分を切り離すことは難しい。

逆に、東京をまだ基点にしているからかもしれないけど、
岬の持つ静寂さをまだ憧れとしてみているところがある。




冬の寒さに身体が慣れてしまった頃に巡り合う小春日和の一日。
あのなんともいえない暖かさと、幸福感はとても好きだけど、
晩秋のビリッと寒い風を感じながら野山に立つ気持ちも棄てがたい。
清涼とでもいう感じだろうか。

岬の一日は、そんな気持ちにどこか似ているところがある。

岬が私のために提供してくれるものは、静寂。それに尽きるのだと思う。
確かに、音はたくさんする。
早朝から鳴き交わす鳥の声、風や雨の音、屋根を時折叩く木の実。
一日の終わりを告げる虫の声。
その他にも蛙やその他の動物や、虫の声が、その季節にあることを教えてくれる。


そして人の世界を感じさせる音。
崖の下の道を通り過ぎる車の音や、
防災放送のチャイム。
でもこれらは自然の音しか聞こえない環境では、全く邪魔にならない。
むしろ、他の世界との繋がりを感じさせる数少ない証拠として、
好ましいものとして聞こえてくる。

もちろんこちらに居ればいたでやらなければならないさまざまな日課もある。
お腹が空けば料理もしなければいけないし、
掃除も、洗濯もしなければいけない。
あるいは庭の掃除や、伸びた木の枝落しだって半端な仕事ではない。

でも自然のゆったりとしたリズムに身を任せ、
そのリズムでやればいい。
アイドルな時間の流れこそ岬の生活の一番の賜物
この素晴しい時を諦めても、食事をすることがもっと大切と思い切れるまでは、
お気に入りの椅子にすわり、何もしない贅沢を味わうことができる。
何もしないことが唯一の楽しみと思えれば、
食事を忘れ、死に至る事も私の自由とさえ思える。

全てが自分の意思でやれる自由さ。

庭の木に飛んでくる鳥たち、
雲の流れ、
そして夕焼けに染まる木々、

それをただぼんやりと見て過ごす私。

何によりも貴重で、誰にも邪魔されたくない、孤独な静寂
私の贅沢なひと時。




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