実現が不安視されていた会談が行われ、両首脳の直接の口から、北朝鮮の安全の保障と完全非核化が約束されたことを高く評価する。まさに歴史的快挙と言っていいだろう。
ところが、これを謳った共同声明に疑問をはさむ声がある。アメリカ政界を中心としたもので、「北朝鮮の完全非核化」の文言に「完全かつ検証可能で不可逆的な」と言う言葉、いわゆる「CVID]が謳われていないので約束が守られるかどうか不安だというのだ。アメリカの尻馬に乗る日本の政界やマスコミ、またそれに同調する評論家等に共通する。
しかし、これは片手落ちの指摘ではないか? トランプによる「北朝鮮の安全の保障」にも、このCVIDは加えられていない。どのように安全を保障するのか具体策は何も書かれていない。トランプは信頼できるが、金正恩は疑わしいというのだろうか?
私は、北朝鮮という国はとんでもない国とは思っている。それは、人の国の人間を拉致したり、世襲的に独裁制を敷いたり、およそ近代国家の体裁を整えていないからだ。とはいえ、主権を持った一国であり、その国の将来はその国の国民が決めていくしかないと思っている。その主権国の大統領が、世界の前で自ら発言したことには重みがある。彼は声明文で、北朝鮮の非核化を、「確固として揺るぎのない約束」として再確認した。むしろトランプは、北朝鮮の平和保証の約束に、「確固としたゆるぎない約束」とまで言っていない。
このような言葉や、CVIDなどの言葉が入れば、それだけで信用に足るとでもいうのだろうか? 言葉ではないだろう。これからの実践が問題である。そしてそれは、まさにこれから始まるのであり、段階的、持続的であらねばならず、国家間の約束である以上、双務的、ギブアンドテイクの関係でなければならない。非核化にしても、国家体制の安全保障にしても、瞬時に実現するようなものではないからだ。
私は、前にも書いたが、この会談が金委員長の「誰も攻めてこないことが保証されるのならば核兵器などいらない」という、極めて高い平和理念(金委員長がそれに気づいているかどうかは知らないが)にもとづいていることを評価しているのだ。この理念は世界平和に通じるものを持っているからだ。核開発を通じて、これがいかに国民生活を犠牲にするものかを身にしみて感じた金委員長は、北朝鮮の平和さえ保証されれば、必ず核放棄に向かうのではないか?