映画『マリア・カラス』を観て、その芸人根性に感動していると、マリア・カラスとは似ても似つかないが、将棋一筋に生きた阪田三吉の話が、娘との話題になった。早速、かの坂妻が三吉を演じる『王将』のビデオを借りてきて観た。
大阪は天王寺のドヤ街に住む阪田三吉は、ぞうり作り以外は読み書きもできない男であるが、将棋にだけは異常な才覚と情熱を持っていた。やがて、東京に君臨する名人関根八段と対等に競い合うようになる。そして迎えたのが、あの「泣き銀」で有名な運命の一局である。
時は大正2年4月6日、この一番は翌7日にかけて30数時間打ち継がれたと聞くが、勝負所に差し掛かった阪田は、いわゆる「2五銀」を放つ。ところがこの銀は阪田のミスで、やがて攻め立てられ、方々の体で自陣に逃げ帰る。いわゆる「銀が泣きよる」場面である。
阪田は、自分のミスで銀を泣かせたことが悔やまれたどころか、そのような手を放った自分が許せない。何としてもこの将棋に勝って、銀の不名誉を救わなければならない。つまり「何としても勝負に勝つ」ことが運命づけられたのである。
そして、長考の末に打った手が、角を捨て香を取る「6六角」であった。戸惑った関根八段の「金による角とり」から、形勢は一挙に逆転して三吉は勝利を収める。
しかしこの手は彼の娘に見破られる。「お父さんは、ハッタリの手で関根さんに勝った」と娘になじられ、三吉は、実質的な敗北を認めて、名人を関根に委ねる。この勝負師も、芸の道にごまかしは許されない、という心情だけは貫いたのである。
阪田三吉は、その後も長く生きる。実力的には日本一であったと思うが、晴れて名人位を手にすることはなかった。彼は自分の人生をどのように評価していたのであろうか? 何よりも、彼は幸せであったのだろうか?