旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

2月も終わる…、聞こえてくる春の息吹、

2013-02-27 11:49:05 | 時局雑感

 

 2月も終わろうとしている。つい先日まで正月気分でいたような気がするが、早くも春3月を迎える。書斎のホワイトボードを見ると、3~5月はいろんな行事が並んである。

 3月3日は、義姉の命日、七回忌だ。ワイフの兄弟やそれぞれの甥や姪が一堂に会する予定だ。下旬には娘の弟子どもの「ピアノ発表会」がある。2年ごとのこの行事で、私はカメラマン役をやることになっている。今度はオペラ歌手を呼んで子供たちに生の声を聴かせる計画もあるので楽しみだ。
 酒の会も続く。3月は「めじろ会」(大分県の酒を飲む会)と「純米清酒を楽しむ会」が、4月は「「千代結びの会」と「純米酒フェスティバル」がある。特に後者は、2000年春から春秋2回の開催を続け今回は27回目。推進委員会5名の一員として、ここまで続けてきた感慨がある。あと何回主催者として参加することができるだろうか…と不安もよぎるが。

 5月は待望の「木曽路下り、2泊3日の旅」が組まれている。今年の旅の第一弾である。列車で名古屋まですっ飛ばしたことはあるが、2泊3日をかけて木曽路をじっくり歩くのは初めてだ。楽しみにしている。

 今日も最高気温8度という寒い日が続いているが、ようやく春の息吹が聞こえてきた。

 
 


清楚に咲き誇る庭の紅梅

2013-02-25 14:49:37 | 時局雑感

 

 一昨日の投稿に同名の題で写真を載せたように、わが家の庭の紅梅が満開期を迎えた。書斎の窓越しに一日中眺めて楽しませてくれる。
 満開などと言っても小さい花房は何か頼り気なく、注意してみなければ花かどうかも見落とすほどだ。ただそれだけに、何とも清楚で健気(かなげ)だ。通年なら最高気温は10度を超える時節であるが、このところ寒気が厳しく、10度以下の日が続いている。その中で寒風に耐えながら、小さい花びらを精いっぱい広げようとしているところが健気なのだ。

 この紅梅については何度か書いたが、娘の誕生を記念して植えたものだ。だからもう、世にいうアラフォーだ。当初は私たちの背丈ぐらいであったが、今や二階に届くまでになっている。「(桜切るバカ)梅切らぬバカ」というが、私はハサミを入れたこともなく、また庭師も3,4年に一回しか入れないので、ぐんぐん伸びてしまった。
 しかし、梅の木はよくしたもので、下の方からも小枝を伸ばして、そこにもチャンと花を咲かせてくれる。しかも桜と違ってかなり長く咲き続けてくれる。そこがまた清楚で健気だ。

 
    
          


再び美輪明宏『ヨイトマケの唄』について

2013-02-23 11:04:01 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 2月1日付の本稿で、昨年末の紅白歌合戦で歌われた美輪明宏の『ヨイトマケの唄』について書いた。半世紀を経たこの唄が、今の若者を号泣させたものは何か? を問いたかったからだ。私はその中で、この歌が日本の戦後史を語る普遍性を内包しているからだろうと書いた。
 
 昨日のNHK「Asaichiあさいち」に、美輪明宏本人が登場して、私の問いに明快に答えてくれた。NHKとしても美輪をゲストに呼んだ以上、数えきれないほどのテーマがあっただろうが、冒頭から話題にされたのは、やはり紅白のヨイトマケであった。
 司会者から、「なぜ今の若者にも受けたのか」という私と同じ質問をされた美輪は、
 「それは無償の愛でしょう。親が子を思う愛、子が親を思う愛…、それは何かを求めての愛ではありません。無償の愛です。その愛がこの歌にあるからでしょう。」
と答えた。そして次のように補足した。

 「この歌にはモデルがありました。満州から引き揚げた貧しい一家でしたが一生懸命働いて生きていました。その子は貧しさと弱さからイジメにあっていましたが、その子の母は『お前は何も間違ってない。貧乏とか、ちょっと何かができないことなど何も恥ずかしいことではない。ウソやゴマカシをしない。決まったことを一生懸命やる。それができる人が一番偉いんだ』と励ましていました。その子は頑張りぬいて立派なエンジニヤーになりました」

 『ヨイトマケの唄』そのままである。美輪はまた、「この無償の愛がなくなったから、親が子を殺したり、子が親を殺したりするのです。ウソをつかない、貧しくてもキチンと生きる…、このような日本人の一番いいところが失われてきた結果です」とも言っていた。
 半世紀を超えて若者を号泣させたものは、人間の原点とでもいうべきものであったのだ。

  
        清楚に咲き誇る庭の紅梅


「ケータイ」は壮大な無駄か?

2013-02-21 12:50:12 | 時局雑感

 

 先日(18日)、M銀行H支店会の幹事4人が集まり昼食会をやった。次回の会合をどうするかというのがテーマであったが、それは幹事長K氏に任せることにして、専ら「これからの日本はどうなるのか?」という話に花が咲いた。会長のY氏、幹事のI氏を含め4人の平均年齢は80歳を越えており、いずれも戦後日本経済を背負ってきた自負に燃えている人たちだけに、話は政治、経済、文化、ひいては国際問題と多岐にわたった。

 それらの話はひとまずおいて、周囲で日常的に繰り広げられている「電気器具操作」は一体いかなる意味があるのか? ということも話題になった。電車の中にあっても路上にあっても、老若男女を問わず夢中に電気器具を操作している。それが携帯電話なのか、iPadなのか、i
Phoneなのか知らない。いわゆる、世にいう「ケータイ」というやつだ。
 とにかく、日本人の大半が夢中になってその操作に明け暮れていることは確かだ。あれは壮大な無駄ではないか? ということになった。しかしひょっとすると貴重な情報を世界中から集め、思いを巡らし知識を高め、それが新技術の開発や生産性の向上に役立ち、ひいては日本の国力向上につながるのかもしれない。
 結論的には、日本人は(いや外国人も相当にやっているようだが)壮大なエネルギーの無駄使いをやっているのではないか、ということになった。あのエネルギーを何か物つくりなどに向けることはできないか、と真剣に話し合った。
 
 しかし、かくいう4人は前述の通り平均年齢80歳以上、私を除く3人はワープロも扱えない古い人間、(ワープロを扱えれば新しいかは別として)所詮は年寄りの戯言(たわごと)に近いのかもしれない。
 それにしても、あの「ケータイ操作」はどんな意味があるのだろう? あのエネルギーは何かを生み出すのだろうか?


寒い日が続く … 雨水を迎えたが雪がちらつく

2013-02-20 20:50:41 | 時局雑感

 

 18日は24節気の雨水。つまり、立春を過ぎて徐々に陽気が高まり、雪は解けて雨となる季節である。ところが明けて19日(昨日)は一日中雪がちらついた。もちろん積もるような雪ではないから、雨水の時節を表しているとも言えるのかもしれないが、とにかく寒かった。暦通りにはいかないものだ。
 その18日の夜、風呂から出て歯を磨いていたら、上の歯がポロリと抜け落ちた。わずか2本しか残ってない上歯の一本が抜けたのだ。しかも何の痛みもなく出血することもなく、落ち葉が散り落ちるごとく抜け落ちたのである。
 もちろん、既にぐらぐらするようになってかなりの期間が経つ。時間の問題とは思っていたが、何の抵抗もなく抜け落ちるなど、こんな淋しいことはないと思った。少しは痛みを伴うとか、血の一滴でも流れるとすれば「生きている証(あかし)」を感じるが、自分の肉体の一部が枯葉が散り落ちるごとく抜け落ちるのはさびしいものだ。まさに老いの一現象であろう。
 早速かかりつけの歯医者に残骸を持って行くと、「歯が抜けていては格好悪いから、とりあえず応急手当てをしておいて、抜けた跡が固まったら本格的に作り直しましょう」と言いながら、抜け落ちた歯を入歯にくっつけて恰好だけは整えてくれた。これもまた何とも味気なさを感じた。
 雨水を迎え水は温み、やがて春が訪れ万物が花咲くが、抜け落ちた歯がよみがえることはない。人工的な歯で、かなり不自由なく食生活を送ることはできるが……。


娘からのバレンタイン … 利き酒ショコラ

2013-02-16 13:34:14 | 

 

 バレンタインデー(2月14日)の前夜、娘から「お父さんにピッタシのチョコレートよ」と、『利き酒ショコラ』なるチョコレートをプレゼントされた。驚いて開けてみると、「厳選した蔵元の6種類の日本酒それぞれの特徴を凝縮したSAKEショコラ」として、次の六つの酒の説明書がついていた。

 大阪呉春の『呉春特吟』、東京田村酒造の『田むら純米吟醸原酒』、青森西田酒造店の『田酒特別純米本生原酒』、愛知関谷酒造の『蓬莱泉純米大吟醸しぼりたて生原酒』、京都佐々木酒造の『聚楽第純米大吟醸』、岐阜中島醸造の『小左衛門純米大吟醸』の六つがそれである。
 いずれも著名な銘柄で、しかもほとんどが純米酒であることに気をよくして、さっそく一つを取り上げ、噛み分けて味わった。言われてみれば、かすかな酒の香りがしないでもないが、芳醇、強烈なチョコレートの香りで、それぞれの酒を利きあてるどころではなかった。
 しかし、何とも美味しいチョコレートであった。ウィスキーボンボンのように中に酒の液体が入っているというようなものではなく、中身の柔らかい部分に酒を凝縮してあるのだろうが、チョコの味を濃純な旨味に高めこそすれ、酒の味をそれぞれ味わうというまでにはいかない。しかしそれでいいのであろう。料理の味を高めるのに必ず酒が調味される原理と同じだろう。

 それにしても面白い試みだと思った。それぞれの蔵の宣伝にいくら役だったかは分からないが、少なくともチョコレートの宣伝、売れ行きには寄与したであろう。丸の内の「ショコラティエ パレドール」の製作となっていた。

  
 箱の帯には、日本酒らしく稲穂があしらわれていた。 


故柿崎秀衛蔵元(浅舞酒造)をしのぶ酒『行雲流水』

2013-02-14 13:32:12 | 

 

 日本酒造界はまた大きな人材を失った。秋田県横手市で『天の戸』を造る浅舞酒造の柿崎秀衛社長が、1月8日ガンで逝った。享年56歳、まだこれからという年齢で、新しい日本酒の発展に無限の可能性を残す人材であった。
 『天の戸』は近時人気を高め、全国新酒鑑評会でも金賞を数多く獲得、純米酒普及推進委員会の開催する「純米酒フェスティバル」にも出品を続けて、純米酒の品質向上、普及推進に多大な貢献を果たしてくれた蔵である。数年前から全量純米酒生産に切り替え、しかも、蔵の周囲半径5キロ以内で生産される米だけで造るというユニークな地域密着蔵、酒質の多様化も含めて今後の成長が大いに期待されている蔵である。
 惜しい人材を失ったが、故人の業績を高く評価してそのご冥福を祈るほかない。

 柿崎氏の業績をしのぶ貴重な酒を飲む機会に恵まれた。氏の没後すぐに蔵から出され『行雲流水』と名付けられた酒である。ラベルの右肩に「2013年1月8日没 柿崎秀衛(享年56歳)」と書かれてある。
氏を忍んで瓶詰された特別の酒に違いない。酒名も故人の生き方を示すものなのであろう。
 実にどっしりとした味わいの酒である。同時ににまろやかさに富み、すっきりした透明感もあった。近時はやりのカプロン酸系の香りなどない。むしろ栗とか木の実など果実性の香りがするようでもあった。表示を見ると「原料 米、米麹、秋田県産米100%使用、精米歩合55%」とだけある。浅舞酒造らしい純米酒である。
 飲んだ仲間と、「この重量感と透明感、まろやかさが共存するのは何か?」というのが話題になった。そしてそれは、今年の新酒と、同じ酒の古酒(おそらく10年ぐらいの古酒)のブレンドではないか?、ということになった。新酒の重量感と古酒のまろやかさが共存しているのではないかということだ。
 そして、そのブレンドを行ったのは同蔵の杜氏森谷康市氏に相違なく、生前の柿崎氏と追い求めていた酒質の一つの表現ではないかということになった。因みに森谷氏は柿崎氏と同級・同窓生であり、幼馴染の縁で杜氏に誘い込まれた仲である。生前の柿崎氏を知り尽くした森谷杜氏ならではの酒といえる。

     


銀行時代の仲間の死

2013-02-10 15:04:06 | 時局雑感

 

 銀行時代の仲間の会はいくつかあるが、その中で、20年近くにわたり年2回の会合を律儀に続けてきた会がある。私の最後の職場となった検査部で、融資業務を検査する部会に属していた者で、気心の合った十人ぐらいがそのメンバーだ。
 会の名は、検査部融資部会から単純に「検融会」と名付けた。常任幹事役のYさんが実にこまめな人で、夏と冬に必ず会場を準備して「開催のお知らせ」をくれる。会長とか役員を置くわけではなし、もちろん規約などの決め事もない。名前の通り単純で、Yさんの地道な努力が支えてくれる会、といえよう。
 会長など役員はいないが、会の中心には何となく親分的な人が座るものだ。メンバーの一番年長で、これまた人の面倒見の良さでは人後に落ちないS氏がその役を務めてきた。そしてその人柄の良さが、この会を20年近くも続かせた理由の一つでもある。

 そのS氏が亡くなった。昨年2月、定期検診で肺にがんが見つかり、5月に手術、その後回復するかに見えたが11月に転移が見つかり、治療の副作用に耐えながら頑張ってきたが、2月6日ついに逝った。享年79歳、あと1か月で満80歳を迎えるところであった。
 検融会では3人目の逝去で、うち二人は私より年上であったので、だんだん上がいなくなった。未だ年上は二人いるが、S氏を失ったのは屋台骨を失くした感がありさびしい。

 前述したように、S氏の誕生日は3月9日であと1か月で80歳を迎える。実は同じ誕生日のお孫さんがいるようで、毎年合同誕生会をやってきたが、今年は「おじいちゃんの傘寿の祝いを兼ねて、家族全員で温泉旅行に行こう」と決めていたという。S氏もそれを楽しみに療養に励んできたらしいが、思いを果たせずに逝ってしまった。
 昨日の告別式に参列したが、出棺の時に声をあげて泣いていたお孫さんの声が耳に残っている。


加齢黄斑変性ではない(?)らしい右目

2013-02-08 16:14:23 | 時局雑感

 

 何度も書いてきたように、私の左目は加齢黄斑変性でほとんど見えない。したがって右目だけで辛うじて生きている。ところがその右目も最近見えにくくなってきた。東京医大病院に通っているが、担当の先生が代わったのを機に、精密写真を撮ってもう一度原因を見極めようということになった。いわゆる造影剤を注入しながらあらゆる角度から写真を撮るヤツだ。

 その結果……、右目は左と違って網膜の一か所に瘤(こぶ)ができており、その瘤の一部が破れて水がしみだしている状況、ということだ。加齢黄斑変性ではないらしい、ということでホッとしたのだが、結局どちらがいいのかは分からない。
 先生の判断では、「視力が1.0もあるのでもう少し模様を観よう」ということになった。レーザーで瘤をつぶす手があるが、「1.0もある視力を損なう恐れがある。それも勿体ないのでもう少し模様をみて、視力がどんどん下がるようでしたら何か考えましょう」ということになった。
 とりあえず見にくいのに対しては、天眼鏡を使うとか(実は天眼鏡で見ると実によく見えるのだ!)、それに類する眼鏡をメガネ屋で相談するとかしたらいい、というのだ。

 レーザーを当てるとか手術をするとか言われるのではないかと、暗い気持ちで出かけたので、ひとまずホッとした気分ではあるが、前より見えにくくなってきたのは事実だし、根本的には何も解決していない。「加齢」のもとで、だんだん生きていく条件を失ってきているということだろう。
 こんな状況で、ブログを書いたりしていいのかなあ? 次回もう一度先生に聞いてみよう。前の先生は「ブログを書いているとはすばらしいですね」と褒めてくれたが…?

  
            わが庭のせんりょう

 


歌舞伎・落語シリーズ第三弾 … 桂扇生独演会

2013-02-06 14:03:56 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 前回第二弾の初春大歌舞伎を観て、新橋演舞場から改築中の歌舞伎座の前に出て、「新装歌舞伎座で、弁慶が大見得を切るシーンを見たいものだなあ」なんて話し合いながら帰ったが、その「荒事」の大御所、「にらみ」の市川団十郎が亡くなった。昨年末の中村勘三郎に続き、歌舞伎界はまた若き象徴を失った。
 もちろん、まだあとに人間国宝役者からそれに続く役者を多く抱える歌舞伎界が、これで終わるわけではないが、「貴重な芸」はあらゆる機会を逃さずに見ておかねば…、とつくづく思った。もう、あの十二代目団十郎の弁慶を見ることはできないのだ。

 シリーズ第三弾は、「てなわけで冬の噺“桂扇生独演会”」なる落語。2月2日、娘と二人で内幸町ホールに出かけた。実は扇生師匠とはある酒の会で一緒になり、席が隣り合わせになって大いに親しくなり、名刺を交換したことがきっかけで毎月出し物の案内をいただいていたのだ。
 私はその酒の会まで扇生師匠を存じ上げていなかったが、隣の席で何とも賑やか、「よくしゃべるおっさんだなあ」なんて思っていたら、それもそのはず、おしゃべり専門の落語家であったのだ。
 これも何かのご縁、と噺を聞く機会を狙っていたのだが、今回、「二番煎じ」と「厄払い」というタイミングのいい演目に接して、娘を誘い出かけたわけ。
 「厄払い」は節分、豆まきの噺であるので、節分の前日とは何ともタイミングがいい。翌日の節分では、わが家はとうとう豆まきもしなかったが、前日聞いた扇生師匠の噺で十分に代行してもらったと思っている。もっとも、「厄払い」の主人公の豆まきは実に心もとない豆まきであったが。
 「二番煎じ」は、「試し酒」、「夢の酒」と並んで私の好きな“お酒三大噺”の一つ。期待にたがわず、約一時間たっぷりと語ってくれた。テレビなどで聞く落語は15分ものなどが多く実に味気ないが、独演会となればじっくりと演じてくれるので聴きごたえがある。
 次は末広亭にしよう、と早くも娘からおあとの注文が出ている。

    
              桂扇生師匠と(ある酒の会で)
      


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