昨夜のNHK「その時歴史が動いた」で、水野広徳の生涯が描かれた。このジャーナリストの話を聞いたことはあったが、深く知ったのは初めてだ。
水野は、そもそも海軍で魚雷艇の指揮を執るほどの軍人であったが、第一次大戦後のフランスを視察してその惨禍に驚く。この世界大戦から戦争の様相が変わり、非戦闘員を含む国民皆殺し戦争となった。その様をつぶさに観察した水野は、「軍隊は国民を守るためにあるものと思っていたがそうではなく、むしろ軍隊のあることが国民に不幸をもたらす」ことに気づく。
爾来水野は「求めるべきは軍備撤廃である」と信じ、彼は軍人をやめジャーナリストとしてその信じるところを説く事となる。しかし時代は、世界的には植民地争奪戦の帝国主義時代、国内にあってもアジアへ覇権を求める15年戦争へ向かう時期・・・、水野の本は発禁となり、演説会はつぶされ、彼の後を絶えず憲兵がつけまわることとなる。
そしてついに、昭和16(1941)年2月、彼の言論は全て封じられることとなる。その10ヵ月後に日本は太平洋戦争に突っ込むのである。
彼はその後、一切世間から姿を消すが、後年分かったところによると「反戦平和、軍備撤廃」を求める文章を書き続け、その原稿は膨大な量に上っていたという。彼はそれを公表することが一族や関係者を不幸におとしめる事を知っていたので、ただひたすら書き溜めていたという。その最後の言葉は、
「反逆児 知己を 百年の後に待つ」
であったという。
凄まじい水野の執念に驚く。彼は軍備撤廃に向かうには「百年を要する」ことに気づいていたのかもしれない。事実、彼の死後半世紀がたつが、軍備撤廃どころか、日本は平和憲法を踏みにじり、遠くイラクへ派兵するまでに至った。加えて、憲法を改悪して戦争の出来る国になろうと躍起になっている。
われわれは、あと半世紀のうちに軍備撤廃の道に踏み出して、水野の「百年後の知己」になることが出来るであろうか?