昨年より9日遅いが東京の桜が昨日満開となったというので、早速神田川(高井戸駅周辺)に繰り出した。見事に咲いていました。
以上、神田川の桜
庭の椿も玄関のかいどうも咲き始めました。いっせいに春です。
昨年より9日遅いが東京の桜が昨日満開となったというので、早速神田川(高井戸駅周辺)に繰り出した。見事に咲いていました。
以上、神田川の桜
庭の椿も玄関のかいどうも咲き始めました。いっせいに春です。
26日、今田周三氏の主宰する山水舎の「日本酒飛躍の道標を考える」という新春セミナーに参加した。以下三講を内容とする、なかなか野心的なセミナーであった。
第一講「日本酒業界は一次産業の変革にどう向き合うか」
日本経済研究所執行役員 佐藤淳氏
第二講「日本酒のマーケット現場からの提言」
朝日屋酒店 小澤和幸氏
第三講「新しい時代の日本酒マーケティング」
明治大学大学院教授 上原征彦氏
先ず第一講。TPPがらみの変革に対処する様々な観点を提起してくれた興味ある講演であったが、その中の一つ。
佐藤氏は、日本酒は消費量ピーク時の1970年代初頭以来、一貫して消費量を減らしてきたが、これは原材料たるコメの対外価格比高騰に由来しているとする。日本酒の減少曲線と、コメの対外価格差高騰曲線が一致している。つまり、原料高騰で価格が高くなるほど消費量は減少する。
ところが、小売り自由化の2003年からは価格が下がったにもかかわらず消費量も減ったという。これは、販売チャンネルが酒販店から大型店に移り、大量販売を目指した“まがいもの酒”の出現で酒質を下げたからだという。
こうして酒離れがいっそう進んだが、2011年3月の大震災以降、被災地支援で東北の酒が飲まれるようになり、日本酒のおいしさに目が覚めた。特定名称酒などの存在が知られ、特に純米酒を中心に増え始めた。中でも獺祭などが、美味しい酒の典型として急増してきたという。
日本酒のおいしさが知れわたり、TPPで価格が下がれば日本酒の未来は明るいのではないか、との話に聞こえた。
なかなか面白い問題提起だと思った。
昨日書いたように、眼球への注射に対する恐怖心のようなものは克服していた。そして思った通り、注射自体は大したことはなかった。むしろその前後の消毒や麻酔の目薬などが数回におよび、それの方が大変であるが、注射はほんの数秒で痛くもかゆくもなかった。「ちくりとしますよ」という医師の声で「ちくり」としたような感じはあったが…。
それよりも、治療後右目に眼帯をかけられた後の方がみじめであった。これまた何度も書いたように、左目は網膜の中心を加齢黄斑変性にやられてほとんど見えない。唯一頼りの右目に眼帯をかけられ夕食まで(約4時間)外すなと言うのだ。
ワイフの肩にすがりながらやっと病院の外に出て、タクシーで家まで帰る。そのあともベッドに横たわりなすすべもない。
そして何よりも、「眼帯を外したら真っ暗だった!」など言うことはないのだろうかと不安が過る。いくら近代医学を熟練の医師が操るといっても、何らかの間違いで手がそれて…などないのか?
しかし、
見えた! 夕食の並ぶ食卓を前に眼帯を外すと、今まで通り見えた! 麻酔などの所為もあって、今まで以上に鮮明に見えるということもなかったが、とにかく見えた!
今日は朝から、術後の再診のため病院を訪れたが、「黴菌が入っていることもなく順調です」という結果であった。なおこれから三日間、クラビットという目薬(抗生物質?)を一日4回点眼するが、とにかく順調に進んでいるようだ。注射の成果が徐々に出てくることを願う。
先ずはメデタシ、メデタシ。
目の注射治療を決意して2週間。「目に針を刺すなんてとんでもない」と避けてきたが、「座して死を待つのも能がない」と近代医療にかけることにしたのだ。それでも当初はやはり怖くて、何とか避ける道はないものか…、などと考えていたが、時の経過とは不思議なもので、だんだん怖いどころかその日が待ち遠しくなっていた。
待ち遠しいとは言い過ぎだが、早く終わらせ、どんなになるのか期待する気持ちの方が高まってきたようだ。人間の気持ちの変化とは不思議なものだ。当初の怖さなど今やない。
喜び勇むとは言わないが、なすがままに…、という平穏な気持ちで、今から東京医大病院に行ってきます。
琴欧洲の引退に思いを巡らせていたら、大関の中でも一番地味な存在であった鶴竜がするすると優勝して、横綱まで上り詰めるようだ。
白鵬の一人横綱でその下に6大関がひしめく時代があった。日馬富士、鶴竜、稀勢の里、琴奨菊、琴欧洲、把瑠都の6人である。私は、把瑠都、琴欧洲、稀勢の里あたりが横綱に上がるのだろうと何となく思っていたが、結果は全く違って、把瑠都、琴欧洲は既に引退、稀勢の里、琴奨菊に最早横綱昇進の覇気はない。
そして、むしろ目立たなかったが最も地道に精進をつづけた二人、日馬富士と鶴竜がその栄誉を勝ち取った。
中でも鶴竜は、大関になって10勝に届かない場所が多く、大関の地位も無理ではなかったかとも思わせたが、彼はその敗退の中で自己形成に努め、精進を続けて技量を高め、勝負の世界で最も重要だとされる平常心を心の奥底に育んできたのだろう。
「一生懸命頑張って自分の相撲を取り続けました」という優勝インタビューは、地味だが、今の境地と到達点を語りつくしていると思った。
大関は、申し訳ないがもう一つ冴えない二人だけになった。3人の横綱を追うには、かつてのように6人ぐらいがひしめき合うようでなければだめだ。
豪栄道や栃煌山に加え、遠藤をはじめとした気鋭の若手がその役を担わなければならない。モンゴル三横綱を追うのは、今度こそ日本の中堅、若手ではないか?
3月24日 芦花公園にて
琴欧洲が引退した。なぜか私はホッとしている。
私はこの力士が好きであった。心の中でいつも応援してきた。しかし、なかなか思うように勝てなかった。そこに一層惹かれるものがあったようだ。
2メートルを超す長身、見事な骨格、レスリングで鍛えた上半身の強さ…、これらを活かして強い時には本当に強さを発揮する。反面、いとも簡単に敗れて悲しい表情を浮かべて退場する。その土俵に何とも言えない愁いがただよう。
レスリング元欧州ジュニア王者、サッカーのスター…、国に帰れば英雄ではないのか? 「なぜ日本などに来たのだろうか? 早く母の国に帰りたい」と思っているのではないかと気になっていた。しかも身を置く大相撲の世界は日本でも特異な社会だ。封建的で、「土俵の怪我は土俵の土で治せ」というような非合理な世界は、怪我に泣き続けた琴欧洲には辛かっただろう。彼はどう思っていたのだろう?
ところが彼は日本が好きだったのだ。日本国籍を取り、親方として後輩の指導に当たるという。横綱への夢より指導者になる夢が強かったとも報じられている。彼は引退記者会見の涙とともに勝負師の夢を洗い流して、晴れ晴れと指導者の道を進むのかもしれない。
日本名「安藤カロヤン」という響きに、言い知れぬ愁いを残すが……。
朝から冷たい雨が降っている。
一昨日(18日)は春一番が吹き、最高気温は20度近くまで上がって4月中旬の暖かさなど報じられた。それにつれて高知をはじめ桜の開花宣言も告げられた。東京は28日ごろで平年より2日ばかり遅いようだが。
ところが今日は冷たい雨が降り続き、最高気温も10度以下と真冬並みの寒さだ。仕舞おうかと思った長そでの下着をあわてて着けた。この時節には例年のことで驚いてはいないが、本格的な春の到来はかくもじれったい。
月が明ければ、5日には山びこの会の「秩父札所めぐりハイキング」や、下旬には待望の「琵琶湖の旅…近江八幡、彦根、長浜を歩く」二泊三日の旅も待っている。その間に「山桜桃の会」や「純米酒フェスティバル」など、春本番の酒の会が続く。少々じれったくも、春は否応なしに来るだろう。
問題はその前(27日)の目の手術(注射)だ。当日の3日前から「クラビット点眼」とかいう目薬を一日4回さして準備するという大袈裟な手術だ。それだけでも不安になるが、まあ、すべては近代医術と天の導きに任せよう。
この目の手術を終えて、本当の春が来るのであろうから…。
はやさきのさくら?
こちらは梅
一昨日夜、銀座一丁目の『タベルナ グスタヴィーノ』という素敵なイタリアンレストランで、銀行時代にお世話になった大先輩Kさんの85歳の誕生を祝った。Kさんは一月に誕生日を迎えたが,検診と重なってお祝いができなかったため、お嬢さんが一席設けて「お父さんを励ます会」を催すことになり、その席に特別に私も加えていただいたというわけ。
さすがに食通、酒通のお嬢さん行きつけの店だけあって、この店は素晴らしかった。先ず、乾杯の酒として小笠原店長自ら運んできたワインは、あの「フランチャコルタ」のスパークリングであった。「あの…」というのは、私が近著『旅のプラズマ…世界の酒と日本酒の未来』の冒頭に書き綴った話の一つが、このイタリアはロンバルディア州の銘酒フランチャコルタにまつわる話であったからだ。
これには感動した。その後もトスカーナの「生ハム」にはじまる美味しい料理にあわせ様々なワインが出され、同時にそれにまつわるエピソードを語る店長の知識が加わり、久しぶりにイタリアのワインと料理を満喫した。
デザートの段階になりグラッパを注文すると、ホワイトハウスで飲まれているという超高級のグラッパが出てきてまた驚いた。ブドウの搾りかすで造るグラッパは、一般的には平民が飲む下級なスピリッツだが、こうなるとグラッパ用のブドウが栽培されているというから、ちょっとしたブランデーより上だ。
もっと驚いたのは、ローソクをともした「誕生祝のケーキ」とともに運ばれたデザートワイン「レチョート」だ。ヴェローナ産の赤ワインで、その美味しさはドイツのアイスワイン、アウスレーゼを凌ぐものがあった。
ヴェローナ産デザートワイン(赤)“レチョート”
ケーキのろうそく越しにお嬢さんが撮った「85歳のお父さん」
いやあ、大変結構な夜でした。K先輩は、毎日1時間、4キロのウォーキングをつづけ、ますますお元気…、何よりです。
今度こそ! と期待を繋いできた瞬のNHK囲碁トーナメント戦であったが、準決勝で結城NHK選手権者に敗れた。山下前本因坊など厚い壁を勝ち抜いてベスト4まで勝ち進んだが、もう一つの厚い壁、結城現選手権者に乱戦の末敗れた。
一時は中央の乱戦を制して、解説者の石田元本因坊に「これで黒(首藤瞬)の勝ちは動きませんね」とまで言わしめたが、「無用な手」(石田)による損失が続き自滅したようだ。「勝った、と思った瞬間から手が乱れましたね。首藤七段にとっては勿体ない悔しい一戦でした」というのが石田解説者の総評であった。
「勝つと思うな 思えば負けよ」…、稀代の勝負師阪田三吉を引き合いに出すまでもなく、言い古された勝負の機微はこの世界を貫く真理なのであろう。これも何度も書いてきたが、瞬は子供のころから物静かなおとなしい子で、これまでの戦いの進め方を見てもあまり心が揺れ動く方ではないと思っていたが、勝負の世界はそれほど甘くないのかもしれない。
これが一回戦か二回戦なら、心の動揺はもっと小さかったのではないか。準決勝、しかも現選手権者に勝てるかも…、という心理は、素人が思い及ぶような生易しいものではないのかもしれない。
また一つ修羅場を経験して、次の成長につながることを祈って止まない。
視力低下に悩んでいることは何度も書いてきた(2013年6月27日ほか)。左目は「加齢黄斑変性」でほとんど見えず、右は「傍中心窩毛細血管拡張黄斑浮腫」という長ったらしい名前で、その黄斑浮腫から染み出る水分が網膜を覆うと視力が低下する。
昨年初めまで1.0であった視力が昨年春ごろ0.7あたりに落ちたので、先ずその黄斑浮腫をつぶす手術(レーザー照射)をやった。昨年6月のことである。ところが今回の検査で、視力は再び0.5と0.4の中間ぐらいに落ちた。
そこで今度は、染み出た水分を散らせる薬を注入する注射をやるというのだ。要するに原因(浮腫)をつぶそうとしたがあまり効果がないので、結果(染み出た水)を除こうというのだ。
私は恐る恐る聞いた。「先生、注射は何処にするのですか?」 先生は平然と答えた。「注射は目にします」
ちょっと待った。目に針を刺すなんて、そんな怖いことをそう易々と応諾するわけにはいかない。「…昔なら死んでる齢の80歳にもなろうかという年寄りが、そんなことまでして目を治療しなければいけないのでしょうかねえ」などと半ば開き直って拒否してきた。先生も「…確かに、ここまで来て痛い目に会うのもねえ…」など洒落まがいの言葉で応えていた。
しかしついに一昨日の診断で、「他に手段なし。放置は座して死を待つようなもの…、それも智慧ある人間のとるべき道ではあるまい」と注射を決意した。
運命の日は今月27日。
だってみんな、目に針を刺すなんて怖くない?