今月に入って、カテゴリーごとに「今年も終わる」シリーズを書いてきたが、今日で本当に今年は終わる。
80歳になってこんなにいろいろなことが起こるとは想像していなかった。
まず80歳の初孫は、高齢化と晩婚化時代の象徴であろう。次男が結婚したのが5年前(2010年)だから彼は44歳、私は75歳になっていた。しばらく子供が生まれる気配もないのであきらめていたら、今年になって突如生まれた。75歳とか80歳といえば昔は生きていなかった。
生まれてみれば可愛いもので、日に日に大きくなる姿に生命力を感じる。明日も来ることになっており、新年はまず孫と迎えることになる。遥人(はると)と言う名前であるので、これから「遥かに生きて行く」であろう生命力にあやかろう。
弟淳を75歳で亡くした。既に書いたが、兄弟(男ばかり5人)の中で最も明るく元気であった彼が、なぜ高齢化時代をそのまま生きられなかったのか、全くわからない。今や人類は半ば克服しつつあると思われる癌(淳は肺癌)の怖さを改めて知った。
これまた既に書いたが、淳は私などよりはるかに多様に豊かに生きたので、その質量からすれば90歳にも100歳にもなるのであろうが、とはいえ、75歳で逝くことはないではないかと、その生涯を惜しむ。
生まれる者あれば死すものもある。諸行無常の響きにだけは抗(あらが)えない。
その他、私にとっては、人生の整理期にしてはいろいろあった。しかし、この二つの出来事だけで十分だろう。静かに行く年を振り返りながら今年を終わろう。
私の書斎を飾る淳の絵
題名「春待つ」…「冬のブナ」でなく「春待つ」としたところに淳の面目あり
淳は、明日迎える新春をどんなに待っていたことであろうかと思う(11月18日死亡)