旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ザクセンハウゼンのリンゴ酒

2007-09-28 05:34:01 | 

 

 フランクフルトの名物「リンゴ酒」を飲もうとザクセンハウゼンに出かけた。「ツム・ゲマルテンハウス」という72年の歴史を持つ店。
 リンゴ酒を一杯飲んだ後ビールを注文すると、ウェイターが曰く、

 「ここはザクセンハウゼンだ! リンゴ酒を飲まない者に他の酒は出せない!」

 
れには驚き「俺は一杯飲んだ」と告げると、「ではビールを出すが、これもザクセンハウゼンのビールに限る。それでもよいか?」ときた。もちろんOK(むしろそれをこそ望んでいた!)すると、
 「やむをえない、ビールを飲め。ザクセンハウゼンのビールだ。」
とやっと持ってきてくれた。

 彼らはその地の酒に誇りを持っているのだ。 日本酒もかくありたいとつくづく思った。
                  07年9月27日 


オックスフォードのパブ

2007-09-27 03:27:33 | 

 

 昨夜はオックスフォードのパブでゆっくりとエールを楽しんだ。パブの名前は「イーグル アンド チャイルド」・・・C S ルイス(『ナルニア国物語』の作者)が仲間とよく飲んだパブという。学生と市民が半々ぐらいをしめる、実に寛げる、かつ気品を感じるパブであった。
 エールは2杯、「ロンドンプライド」と「EXモア」を飲んだが、気のせいかイギリスの香り・・・何か大学町の香り(そんなものがあるどうか知らないが)がした。つまみは、「フィッシュ アンド チップス」・・・これもイギリスならではの味。続きはまた。
                    07年9月26日


コッツウォルズからオックスフォードへ

2007-09-26 06:41:27 | 

 

 コッツウォルズの広大な台地を満喫、バートンオンザウォーターの静寂な水の流れを経て、ミルディーンガーデンの猫に触れ、今オックスフォードのパブにいます。
 エールを飲み、スコッチを煽りながら、楽しい夜を過ごしています。                               
                     07年9月25日


ロンドンに来た

2007-09-25 07:56:23 | 

 

 ミュンヘンの報告を通り越してロンドンに着きました。ミュンヘンは、ドイツでは珍しいといわれる「雲ひとつない快晴」に3日間とも恵まれ、ノイシュヴァンシュタイン城、とオクトーバーフェスト(ビール祭り)などを満喫。 ロンドンに着いたら一転して雨となったが、強運を用いて昼前から快晴となり、バッキンガム宮殿の衛兵交代式を見た。
 明日はコッツウォールズを中心にイギリスの田舎風景を楽しみます。 詳細は別途。
                   07年9月24日
                                                       


ドイツに着きました

2007-09-21 01:30:55 | 

 

 昨日、無事フランクフルトの友人宅に着いた。といっても空港まで友人が迎えに来てくれて、車で運んでもらったので私が威張ることはないが。しかも、昨夜は日本酒「ゴールド賀茂鶴」(賀茂鶴の大吟醸)に刺身付きの歓待で、今朝はアジの干物に納豆まで付いていたので、まったく日本にいるような感じだ。
 ところが、当然のことながら一歩外の出たとたん、まったく新しい文化に接する旅の始まりを実感している。

 旅の第一歩はフランクフルトの北方、車で一時間弱のヴェツラー。ここはライカの本社のある町だが、私のお目当ては「ロッテハウス」・・・。ゲーテの恋人ロッテ(本名シャルロッテ・ブフ)の館。
 もちろんそこで『若きウェルテルの悩み』をしのんだが、なによりもヴェツラーという町の美しさに魅了された。
 「ゲーテはもしかして、ロッテよりヴェツラーに恋をしたのではないか?」
 そんなこともあるまいが、ゆったりとした中世の町を歩いている感じであった。別れを惜しみながらフランクフルトに引き返し、最初に訪ねたのが「ゲーテハウス」、従ってこの旅は、まずゲーテから始まった、といってもよかろう。
 ゲーテハウスの膨大な資料にも驚いた。しかしヴェツラーともども詳細は省略する。とてもブログに書き込めるようなものではない。以降も時間を見つけてブログを書くが、ほとんど行程のみを書き記す程度にとどめることになろう。
 特に明日からは、ミュンヘン2泊、ロンドン3泊の旅に出かけ、PCは持参しないのでとりあえず「無事着いて計画通りの旅を始めた」ことのみお伝えして、しばらく休憩。
                   07年9月20日                                          
 


しばらくお別れ・・・お元気で。

2007-09-18 21:10:47 | 

 

 昨日まで「手づくりの旅」(5回)と題して書いてきた計画通り、明日からヨーロッパの旅に出かけます。
 生きていれば10月5日に帰国します。
 それまでこのブログは休憩・・・・・・
 ドイツの友が開設してくれた「ドイツで見れるメール」で送受信が出来れば、ひょっとしたら何回かの投稿をするかもしれません。

 しばしの別れ・・・皆様お元気で !
        07年9月18日 tabinoplasma


手づくりの旅(5)

2007-09-17 22:08:14 | 

 

 何度もご登場願っている「ドイツの友人」は技術者である。彼が言うには、「半月も職場を離れるのは不安であろうから、日本で毎日受けているメールをドイツでも送受信できるようにしよう」という。
 ついては、「これこれのデータをよこせ」と、私の最も苦手な「IDのパスワード」の、はては「受送信サーバー、DNSサーバーの番号」などを請求してくる。私はその都度、プロバイダーさんに電話をかけて、つたない会話を交わしながら聞き出す・・・。それでもついに十分とは言えず、ドイツの友は「プロバイダーの電話番号を教えろ。俺が直接話す」と相成った。
 すったもんだの挙句、ようやく本日「完了!」した。

 これは良いことであったのか?
 家族一同、「旅行先でまで、仕事のメールを見るなんて最低!」と猛反対だ。反対どころか軽蔑の眼で私を見ている!

 手づくりも、ここまで来ればオシマイかもしれない。
 旅は、完全な準備が作り上げるものでもあるまい。
 何も無いところを歩いた驚きが旅かもしれない。

  ・・・俺は何か間違っているのかもしれない
    しかし、明後日はその旅に旅立つ・・・・・・
                      
                               


手づくりの旅(4)

2007-09-16 12:04:17 | 

 

 フランクフルトを根城にロンドンにも行こう、という計画でゲーテとともに想起した偉人にカールマルクスがある。マルクスはドイツ人だが、65年の生涯の後半34年はロンドンに住んだ。
 ゲーテの恋人ロッテの住むヴェツラーはフランクフルト北方であるが、西に目を転ずるとルクセンブルグ国境に近くトリアーという町がある。これこそマルクスの生地である。その生家は今も記念館となって『資本論』初版本が置かれてあると言う。
 1849年、ドイツ官憲に追われたマルクスはロンドンに移住する。この移住はマルクスを煩わしい政治の世界から引き離し、学究に没頭する時間を与えた。
 そして、その学究の場こそ膨大な書籍、資料を有する大英博物館図書室であった。彼は以降30数年間、毎日通いつめて研究に没頭した。開館とともに席に座り閉館まで、毎日同じ席で研究が続けられたという。ある時その席に他人が座ろうとすると管理人が、「そこはマルクス博士の席です。今日も必ず来るのでご遠慮を」と言った話は有名である。
 またソーホーのマルクス住居跡が「クォ・ヴァディス」というレストランになっており、三階の住居跡も保存されていることもわかった。いずれも学生時代に『資本論』を読みながら、その壮大な構想、理論構築に感動した者としては、一度は行ってみたい「聖地」である。

 これらのことをドイツの友人にメールすると、彼は全て調べて返事をくれた。
 「トリアーには2時間かかるが、ライン下りの前に立ち寄ろう。大英博物館図書室は保存されており、マルクスの席は「G-7」ということが判明。クオ・ヴァディスは、ちょっとエキセントリックなレストランのようだが、最後の日の昼食とするか・・・。マルクスがドイツ人でイギリスに住んでいた、ということは聞いていたが、初めていろいろわかった。是非とも行ってみよう」
 マルクスの席が「G-7」というのは私も知っていたが、いずれにせよ友人の努力は今度の旅にまた通常の旅では得られないものを付け加えてくれそうだ。
 同時に、ここまで甘えてよいものかと、だんだん反省の気持ちが重なってきた。

 手づくりもいい加減にせよ!
                     
                             

 


手づくりの旅(3)

2007-09-15 15:32:41 | 

 

 フランクフルトに行くと決まって様々なことを想像したが、その中の一つにゲーテがある。ゲーテの故郷はフランクフルトである。この機会に是非ともゲーテへの理解を深めたいと思っている。
 ゲーテは大学を出て(23歳の頃)、父の命でヴェツラーに赴き、裁判事務の仕事をする。そしてそのヴェツラーで、幸か不幸かシャルロッテ・ブフ(愛称ロッテ)に会い恋に落ちる。その顛末が『若きウェルテルの悩み』となった。

 さてそのヴェツラーという街であるが、これがフランクフルトの北方にあるのを地図で見つけ、早速ドイツの友人に問いあわせた。友人からはすぐに返事が来て、「行ったことないが車で一時間もあれば行けるので何時でも案内する。確かに《ロッテハウス》として残っているようだ」という。友人は「ゲーテならフランクフルトに《ゲーテハウス》があるから行け」と言う。私は、もちろんゲーテハウスにも行くが、「この機会にどうしてもゲーテの恋人ロッテに会いたいのだ」と答えた。
 しかし他の様々な日程とのからみで、少なくとも半日は要するであろうヴェツラー訪問は諦めざるを得ないかと覚悟していた。ところが、くだんの友人から
 「昨日(日曜日)、家内と二人でヴェツラーに行ってきた。往きは下の路で一時間、返りはアウトバーンで40分。ロッテハウスの場所も確かめた。必ず案内する」
とメールが来た。私は涙の出る思いであった。
 「ありがとう。これで私はゲーテがあれほどまで愛したロッテに会える!」

 手づくりの旅の計画は、このようにしてまだまだ続く・・・・・・。
                      

 


手づくりの旅(2)

2007-09-13 23:19:57 | 

 

 旅行会社のツアーの旅は、出来上がっている日程を買う。だからそれは変えられない。手づくりの旅は、何も無いところに日程を買い足していく。それが楽しいのだろう。
 今度のドイツ旅行で、最初の計画にはミュンヘンは入ってなかった。ところが、ドイツの友から「貴方の来る期間にミュンヘンの《ビール祭り》が入っている。酒好きの貴方は行かなくてよいのか?」というメールが入った。
 まったく予期していなかったが即座に返信した。
 「私も一応《酒仙》の一人と自負している。計らずも選んだ日程の中にビール祭り(
オクトーバーフェスト)が入っていたことは、神のお導きに相違ない。酒仙として神のはからいに逆らうわけにはいかない」
 ドイツの友は、あわてて日程を変更して「ミュンヘン2泊3日」を計画してくれた。ビール祭りパレードの予約はもちろん、ホーフブロイハウス(ミュンヘンの有名なビヤホール)のショーの予約までも。
 当初は、ロマンチック街道は諦めていた。ところがミュンヘンまで行くのなら、かのノイシュバンシュタイン城ぐらいは見たいものだとなり、諦めていたロマンチック街道のさわりの部分をつまみ食いすることになった。
 これもかなりすったもんだ現地と連絡を取り合いながら、バスツアーと電車を組み合わせた日程を作り上げた。2泊3日の貴重な一日をつぎ込んだのだ。

 とにかく行って見なければわからないが、粘土細工のように作り上げた日程は、A3用紙にぎっしり詰まった。
 期待と不安が入り混じった日程表だ。
                      


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