新年を迎えるための私の数少ない年中行事は、ガラス拭きと掃除機かけ、それに門松の飾りつけとカレンダー張り、最後に庭の落ち葉掃除だ。幸いにも29日が晴れてくれたので、ガラス拭き、掃除機、門松を済ませ、今朝、カレンダーを張り替えたので、後は庭掃除が残るだけだ。
こうして、毎年同じことを繰り返して正月を迎える。この繰り返しこそが平穏を実感させる。
23日は、これまた恒例の「高田エージ超最高的クリスマス」というコンサートに、吉祥寺の曼荼羅まで出かけた。息子夫婦がギターとピアノで出演するからその応援も兼ねている。ここ5年続いている。
このコンサートでは、高田エージさんが自作の歌を数多く歌う。毎年同じ歌だ。私はその中の『永遠だったらいいなあ』と『そのままでいいよ』という歌が好きで、ほとんどその二つの歌を聴くために毎年通う。
この二つの歌については何度も書いてきたので(特に2008年1月13日と15日)、詳しくは書かないが、若者の心の揺れが良く出ていて、なかなかいい歌だと思う。
「そのままでいいよ そのままのお前が一番いい …」とエージさんが歌う歌を皆んなしんみり聞く。そして最終曲は、「強くなりたいと思った夜 守りたい人が出来たとき 暗闇なんか怖くないさ キミが笑えばうれしい」と歌い、それが「永遠だったらいいなあ」といつまでもレフレインを繰り返す。聴衆とともに……。ただそれだけ、毎年同じだ。
高田エージ
首藤潤
落語ファンは、最後のオチまで知り尽くしたお目当ての落語家の話を聞きに行き、その知り尽くしたオチで大笑いして帰る。歌舞伎ファンは、これまた知り尽くした内容を演じるのを見て、その役者のミエを切った瞬間をとらえて「〇〇屋!」と声をかける。知り尽くしているからこそできる声掛けだ。それをみんな、何年も続けてきているのだ。
いずれも壮大なマンネリズムである。もちろん、それぞれは同じに見えて微妙に異なるだろう。しかし人は、その差よりも同一性に安心と平穏を感じる。
今年もいろいろあったが、同じことをして新年を迎える。きっとこれまでと同じ新年が来るだろう。この平穏を永遠に望むのは無理だが、とりあえずそのままでいいよ。
みなさん よいお年を