旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

どうなる消費増税法案

2012-03-31 15:51:05 | 政治経済

 

 ついに消費増税法案が国会に提出された。かねてからの持論である野田首相の執念のようなものを感じるが、それだけに周辺に残す傷跡も大きい。連立相手の国民新党は亀井静香代表の連立離脱宣言で泥沼状態になったし、民主党内も小沢一郎一派の造反でガタガタときしんでいる。前回のブログで「行く春ややぶれかぶれの迎酒」という正岡子規の句を紹介したが、野田首相も執念の延長線上で「やぶれかぶれの法案提出」とい感がなくもない。
 「税と社会保障の一体改革」などというものはそもそも国家百年の大計で、本来なら政治家たる者全身全霊を傾けて議論に集中すべきであろうが、それをいずれも政争の具としている。自民党にしても10%消費税をスローガンに掲げながら、いざ相手から法案提出されると政局の具にするありさまだから話にならない。野田自体はかねての主張で、まさに国家百年の計を論じようとしているのかもしれないが、野党も与党内部も水準が低すぎる。その低水準はさておき、一体この法案はどうなるのだろうか?

 そもそも、何十年も続くデフレを脱却もできないで、こんな大衆課税をかけていいものかという問題がある。政府もその点は不安らしく、実施に向けて「名目成長率3%、実質2%程度を目指す」としている。しかしバブル崩壊後20数年、そのような成長率を日本は体験していない。人口は既に減少過程に入っているし、時代を支える若者たちはもう一つ元気がない。増税を目指す14年、15年までに3%成長など実現するとは思えない。これまた政府はわかっているようで、この成長率を「条件」とはせず、「目指す」とした。
 加えて、社会保障との一体改革とはいうが、増税分5%のうち社会保障の「充実」に充てられるのは1%だけで、のこりの4%は従来の社会保障の「ほころび部分の補てん」に充てられるという。つまりこれまでの財政破綻の償いのための増税が主で、これにより社会保障が大幅に充実するわけではないのだ。だから、10%の後はすぐに引き続く増税を必要とするのだ、ということをちらつかせている。

 日本は消費税の導入について歴史的な失敗をやったのではないか? もっと成長力のあった時代に、消費税的な安定財源を確保してそれで医療、年金、教育など国家百年の大計を作り上げておくべきではなかったのか? ヨーロッパ先進国や北欧諸国に比して30年ぐらい遅れたのではないか? いまさら言っても仕方がないが。


行く春ややぶれかぶれの迎酒  子規

2012-03-29 20:03:21 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 気が付けば3月も終わる。4月は俳句の世界では暮春である。今年は寒い冬が長く続いたので、春の実感がまだない。しかし、もう暮春を迎える。そういえば昨日から急に温度が上がり、明日は4月下旬の気温とか報じられているので、一足飛びに暮春が来たのかもしれない。

 4月は桜花咲きにおう季節、続く5月は陽光きらめいて明るく、歓びと希望に満ち満ちた時節のようだが、反面、暗く重たい季節でもある。学校は新入生を迎え会社は新入社員を迎えるが、同時に卒業や転勤など別れの季節でもある。3月はいわゆる期末で、4月以降その整理に追われる。この不景気ではいずこも好決算は望めずやりくりに苦心惨憺、やれ決算処理ややれ来期事業計画やとサラリーマンにとっても決していい季節ではない。やぶれかぶれとまではいかなくとも、酒でも飲まなければやってられない季節かもしれない。
 そのようなことを考えていたら、掲題の子規の句を思い出した。私がこの句に触れたのは、2006年4月に松山の子規記念博物館を訪ねた時だ。驚いたことにこの句が、広壮な記念館の正面に大垂れ幕で掲げられていたのである。この大垂れ幕は月毎に取り換えられその月の句が書かれるようで、この句は4月の句として掲げられていたのである。
 私は従来から4月をむしろいい季節と思っていたので、「やぶれかぶれ」という言葉にいささか驚いたが、よく考えれば前述のとおりそれほどいい季節ではないのかもしれない。子規も「迎酒をするほどやけになっていたかどうか定かでないが、春は転勤など別れの季節で、こうした季節に抱きうる気持ちを、春の終わりを惜しむ気持ちに重ねて詠んだのかもしれない」というのが、記念館解説員の説明であった。
 花見の宴は一見華やかであるが、その陰には遠き別れや予期せぬ決別を強いられた悲しみが、惜春の情と重なり合って渦巻いているのかもしれない

   


あわただしくなった春のスケジュール

2012-03-26 14:18:55 | 時局雑感

 

 一昨日は有楽町に出向き、オペラ映画「魔弾の射手」を見て、ドイツ映画らしいリアリスティックな描写と出演歌手たちのすさまじい歌唱力に圧倒された。昨日は銀行の後輩が所属する「60歳以上のアマチュア劇団かんじゅく座」の公演「新宿ノラ猫スクランブル物語『ねこら』」を銀行仲間と見て、そのあと親睦会で当時の銀行仲間と旧交を温めた。
 気が付けば3月も残り少なく、「月末事務の処理があるなあ」などと思いながら4月のスケジュールに目をやると、これが結構詰まっている。
 やまびこ会の花見 3.31三ツ池公園、
             4.7浦和桜ロード

 スピカ和太鼓コンサート 4.7で桜ロードとダブリ
 古舘由佳子ヴァイオリンコンサート 4.8
 大洋会(銀行OB会、飲み会) 4.12
 オペラ「秘密の結婚」(トナカイ) 4.14
 純米酒フェスティバル 4.15
 フランスのセルジュ一家来宅 4、16~20
 山形新酒観評会 4.26

 この間に、東京医大の目の治療など医者通いの日程も入り、また秋田出張が入るかもしれない。すでにダブっている予定の整理に加え、いくつか断念せざるを得ない。純米酒フェスティバルのような自ら主催するものは避けられない。3年ぶりのセルジュ一家の来宅(幼稚園児を含む家族5人)は、従来の例からして台風のような4泊5日になるだろう。彼らの訪問予定先の「横浜みなとみらい」、「河口湖」、「笠間市の焼き物窯」には、いくつか付き合わねばならないだろう。
 4月23日は、祝う行事の計画はないが77回目の誕生日で喜寿を迎える。それよりも4月28日は「脳梗塞…入院」の一周年目だ。下手をすると「一周年記念再入院」になりかねない。それとも過密スケジュールに追われて一周年に気が付かないで済むかな? 


NHK朝の連ドラ「カーネーション」に励まされて

2012-03-23 18:16:18 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 毎朝、NHKの連ドラ「カーネーション」を見て、それに励まされて起きる。主人公の小原糸子は、大正末期に生まれ昭和を生き抜き平成18年まで92歳を生きたデザイナーで、加えてコシノヒロコ、ジュンコ、ミチコという世界的デザイナー3姉妹を育て上げた小篠綾子をモデルにしているだけに、その生きざまと数々の言葉は迫力がある。
 今朝は、88歳で現役デザイナーの小原糸子が、末期のガン患者を励ますシーンがあったが、「…年寄りが元気に生きてる姿が周囲に勇気を与える。100歳の年寄りが走ってみなさい。みんな奇跡と思う。その奇跡を起こせるのはその年寄りしかいない。ガン患者が笑うのを観たら、みんな勇気を得る。その勇気を与えることができるのは末期ガン患者しかいない」というような意味のことを言っていた。これまた92歳を生きぬいた小篠綾子がモデルであるだけに説得力があった。

 また、70才代のおばあちゃんを「まあ、女学生みたいなものだ」と呼んでいた。それが何のイヤ味もなく響く。私も来月で77歳の喜寿を迎える。糸子さんの前に出れば「高校生みたいなものだ」と言われるだろう。
 実は5月に、郷里臼杵で高校同窓生の「喜寿同窓会」が開かれる。この年の同窓会となると病気と死ぬ話ばかりが続くが、今度の同窓会ばかりは、本当の高校時代に立ち返った思いでみんなに接したいものだ。


ミャゴラトーリ支援者の集い(つづき) … 演劇と酒

2012-03-20 12:56:06 | 

 

 映画や演劇、またオペラなどでも酒はつきものである。NHKの連ドラ「カーネーション」にしても、子供を含めた家族みんなで見るようなドラマであうが、なんと酒を飲むシーンの多いことか。人生の機微、特に庶民の生活の哀歓が酒とともにあるからだろう。
 観劇の喜びを高めるのも、またその興奮を鎮めてくれるのも酒である。私は「ミャゴラトーリ支援者の集い」の酒の担当を娘に頼まれて、何としても参加者に喜んでもらおうと心を込めて酒を集めた。ここ数年、冷蔵庫の中に大切にしまっておいた酒も全部出した。そのラインナップか以下の通り。

 乾杯の酒(発泡酒4種)
 「エルネス・ラペノー」 フランス、シャンパン
  「ボッテーガ」 イタリア、辛口スパークリング
 「ドゥエ・グラーディ」 イタリア、甘口微発泡酒
 「獺祭、寒造り早槽(はやぶね)」 日本、しぼりたて生

メインの酒
 「トカイ・アスー」“6プットニョス”  ハンガリー
 「リースリング・アウスレーゼ」 ドイツ“ラインガウ”
 「キューベー」 オーストラリア、シャンドン社の発泡酒
 「トゥラサン」 トルコワイン・カッパドキア
 「シャトー・アルコ」 ボルドー“オー・メドック” 
 「浦城本丸」純米吟醸と発泡酒
       秋田五城目町「福禄寿酒造」

 「獺祭」純米大吟醸3割9分 岩国市「旭酒造」
 「山桜桃(ゆすら)」純米大吟醸 笠間市「須藤本家」
 「西の関」23年古酒  大分国東市「西の関酒造」

 自慢をするわけではないが、これらの酒は喜ばれた。まず珍しがられた。トカイワインの「アスー・6プットニョス」とドイツワインの華「アウスレーゼ」はデザートワインでは世界の双璧と言っていいだろう。フランスの「ドン・ぺりニョン」の向こう張る「キューベー」は、昨年のオーストラリア旅行の際購入して、赤道を越えて持ち帰った酒だ。日本酒も東北、関東、中四国、九州から代表酒を選んで世界に負けない。
 料理は前回書いたように寿し以外はほとんど手作り、デザートのお菓子「ティラミス」も、イラストレーターで娘の友人Mさんの手作り差し入れだ。因みに「ティラミスTiramisu]の語源は、イタリア語で「Tira=引っ張る、mi=私を、su=上に」で、「私を引っ張り上げて…私を元気づけて!」となり、Mさんは「ミャゴラトーリを元気づける」思いを込めて作ってくれたという。
 このような心遣いが通じ合ったパーティであったと思っている。

  
     乾杯の酒4種
   
    思いを込めた手作り料理

 


ミャゴラトーリ支援者の集い … ガラコンサート

2012-03-18 15:14:37 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 娘が主宰するオペラ創作集団ミャゴラトーリの支援者の集いとして、ガラコンサートを含む親睦会が昨夜行われた。ミャゴラトーリは3年ぐらい前に立ち上げ、これまで数回公演をやってきたが、オペラの素晴らしさを、一人でも多くの人に身近に感じてもらい、オペラ文化を広めていきたいというのが娘の願いである。
 そのようなことから、昨年の公演「愛の妙薬」(ヤマハの支援も受けて、一部地域の親子招待を実施)の際に、資金支援も含めたご支援者を募ったところ、有難いことに20数名の方々のご賛同を得ることができた。昨夜の会は、その方々へのお礼を込めて、第1回支援者交流会として開いたものだ。料理はワイフや娘、娘の友人などの手作り、酒は私がかき集めるという全く手作りの会であったが、歌手4名の1時間強にわたる熱演もあって、ご参加いただいた方には大変喜んでいただけたと思っている。
 うれしかったのは、最初のご挨拶を含め3人の方にご発言をいただいたが、お三方が共通して強調されたことは「舞台と客席の一体感、演技者と観客の共感こそ大事で、それを追求しいるミャゴラトーリの今後に期待する」という言葉であった。昔から日本の歌舞伎にしても能・狂言にしても、役者と観客はもっと接近して、人間の喜びや悲しみを共感してきたに違いない。西欧の演劇にしてもオペラにしてもそうであったであろう。それが最近は、特に歌舞伎など一部のマニアだけのものになり、しかも客の多くは眠っている。庶民の文化はなくなってしまっている。という指摘であった。
 昨夜はせいぜい30数名の集まりであったが、食事をしながら、酒を飲みながら、目の前の歌手たちの熱演を愉しみまた歌手たちと交流を深めた。30名で4人の歌手の歌を目の前で聞くというのは、このような小規模の会しかできないが、資金面からも、どうしたらこんな会を続けていくことができるか? これこそが課題であろう。

    熱演する歌手たち
  
    バス大澤恒夫『陰口はそよ風のように』
 
  ソプラノ沼生沙織「ラ・ボエーム」より『私の名はミミ』
 
 ソプラノ佐藤貴子、テノール寺田宗永『燃える想いが』
  
 テノール寺田宗永、バス大澤恒夫「愛の妙薬」より2重唱


歌いつがれた日本の心・美しい言葉③ ・・・ 『どじょっこふなっこ』 

2012-03-14 18:16:05 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 (昨年、表題のテーマで『早春賦』と『春よ来い』の2曲を書いたところでブログを中断した。ブログ再開を契機に、一年を経てこのテーマを続けることとしたい)

   はるになれば しがこもとけて
   どじょっこだのふなっこだの
   よるがあけたとおもうべな

 東北に古く伝わるわらべ歌で、言葉の後に「こ」をつけるのは秋田の言いまわしである。ブログ「なまはげの独り言」によれば、「昭和11(1936)年、東京の玉川学園芸能隊が東北公演旅行で秋田を訪れた際の歓迎会で、秋田市の金足西小学校の教員中道松之助が披露したのが始まりです。これを聞いた玉川学園講師の岡本敏明が詩を書き取り、編曲し合唱曲に仕立て、唱歌として広く親しまれるようになったのです」とあるので、立派な歴史を持っている。
 私はこの曲を戦後の「うたごえ運動」の中で知った。全国のうたごえ運動を指導した中央合唱団が昭和23(1948)年に発行した『青年歌集』(その後昭和28年改訂発行、以降10集発行)の第一集に収録され、この歌は全国で合唱曲として歌われた。それだけでも半世紀以上を経て、この歌も立派な古典となった。
 この歌は、このあと夏、秋、冬と続くので四季をうたった歌であるが、私には春の歌に思える。それは、一番の「夜が明けた」という言葉が印象強く残ったからだ。氷(しがこも)は戦前を覆った軍国主義の帳(とばり)で、それが解けて自由を手にした民衆には正に「夜が明けた思い」であったのだ。日本の夜明け、日本の春を、皆んな誰でも歌える合唱で歌ったのであった。特に九州生まれの私には、東北の言葉、中でも下に「こ」のつく響きが何とも美しく響いた。二番、三番に出てくるわらしこ(童)、ふねっこ(舟)、このはこ(木の葉)などの言葉が、戦災で荒れ果てた日本に美しい山河が残っているだけでなく、美しい日本の心・日本の言葉が残っていることを示してくれた。

 うたごえ運動は、関艦子、関忠亮、井上頼豊等の錚錚たる音楽家に指導され、日本のうたごえ祭典には芥川也寸志や五十嵐喜芳などもも登場した。その中から作曲家いずみたくや歌手の上条恒彦なども育った。当時の日本は、まさに「しがこもとけて」「よるがあけた」時期であった。
 その中で生まれた音楽喫茶「灯」は、いまも「ともしび」と名を変え新宿靖国通りの一角で盛況を博している。

    

   


大震災から一年③…希望の光を求めて

2012-03-12 11:05:11 | 時局雑感

 

 原発事故の処理、膨大ながれき処理(福島県内の除染に伴う廃棄物だけでも東京ドーム23杯分!)、また日々放映される仮設住宅の生活状況などを見ると絶望的な気持ちに襲われる。しかし、その中にもたくましく生きる、希望に満ちた姿も数多くある。
 中でも、この震災を機に子供たちの向学心が向上したという例がいくつも報告されている。女川町では、仮設住宅で勉強部屋のない児童の勉強意欲を充足するため、放課後も別の学校を開いているという。子供って何て素晴らしいのだろう。この苦難の中で、だれに教わることなく「自ら勉強して将来役立つ人になろう」という意欲に芽生えているのである。この子たちがいる限り「未来は明るい!」と思った。
 復興には10年を要する、という被災地の方々には申し訳ない数字も並ぶ。国の対応にしても、がれき処理を引き受ける他県が少ない現状にもイライラが募るが、しかし、被災地の人には申し訳ないが、ここは「長期間かけても高度な質の高い復興」を目指すべきかもしれない。それが10年であろうが20年であろうが、むしろそこにこそ夢と希望を託して「国を挙げた密度の濃い復興」を追い求めるべきかもしれない。震災一年を期して全国民が誓うべきは、「その意識を被災地の人々と共有する」ということではないか。

 震災を機に多くの外国人は日本を離れた。反面、これを機に日本に帰化したドナルド・キーン氏のような方もいる。氏は昨日の日経新聞「3.11と私」欄で次のように語っている。
 「私は戦後の東京を見たとき、この街がこれから良くなっていくとはとても思えなかったが、今では戦前の何倍もの巨大な都市になっている。これから10年後、東京がよみがえったように東北が発展している可能性はあるだろう」

 実はフランスの友セルジュ君が来月、幼い子供3人を引き連れ家族5人で来日する。その訪問予定先に恒例の浅草や鎌倉流鏑馬などとともに茨城県笠間の笠間焼窯も入っている。彼は豊かな経験を持つ科学的な男であるが、福島に隣接する茨城を躊躇することなく選んでいる。日本文化に対する評価と愛着は、決して捨てられることはない。


胸が空く思い、小沢一郎被告への論告求刑

2012-03-10 13:30:00 | 政治経済

 

 陸山会事件の裁判で、昨日行われた検察官側の指定弁護士による論告求刑は痛快であった。そもそもこの裁判は、巧妙な工作や言い逃れで検察側は証拠をつかみきれず、一度は無罪としものを、国民が業を煮やして強制起訴に持ち込んだものだ。
 もちろん今回の強制裁判でも、被告側は巧妙な言い回しで証拠隠しをつづけ、新たなシッポを出したわけではないが、検察側(指定弁護士)はその罪を明快に言い切って禁固3年を求刑した。

 「周到な準備と巧妙な工作を伴う計画的犯行で悪質。刑事責任回避のため不合理な否認を繰り返し反省の情は全くなく、規範意識の鈍磨とあいまって再犯の恐れは大きい。」毎日新聞朝刊一面)

 今回の事件の悪質さ、特に小沢一郎という人物の悪を言い切っているのではないか。日本国民の多くは、被告並びに秘書による共犯を疑う者はない。この求刑でも、あらゆる状況判断から罪は十分に成立しているが、それを「計画的にかつ不合理に否認し続ける」ことこそ罪深いと論断している。
 「反省の情は全くなく」、「規範意識は鈍磨」しているとしたのは、小沢に対する万人の評価を代弁しており、このような人物を野に放てば「再犯の恐れは大きい」とはよくぞ言ってくれた。
 とはいえ最終結論では、裁判所は証拠不十分として無罪とするだろう。ここは一番、裁判所も頑張って万人の意をくんで、せめて「禁固一日、執行猶予付き」でもいいから有罪としてほしいものだ。規範意識の鈍磨している人間に政治をやらせることだけは避けてほしいから。


大震災から一年②…悲しい被災3県の人口減少

2012-03-08 15:22:09 | 時局雑感

 

 昨日のブログで、災害復旧の進まぬこと、中でも絶望的な原発事故処理についての不安を書いた。折しも、今日の毎日新聞トップ記事はその不安を裏づける記事を掲げた。題して「被災3県8万人減、30年後福島半減も」という「推計人口」の記事である。
 それによれば、今年2月1日現在の東北3県の推計人口は561万4996人で、それは昨年3月1日(大震災前)に比して8万2901人の減少という。減少の内訳は、岩手1万6390人、宮城2万2924人、福島4万3587人。特に福島がひどく、この現象が続けば、福島県の人口は震災前の2010年に比し、20年には17%減、40年には49%減となるのではないかという出口恭子氏(政策研究大学院大学准教授)の予想を掲げている。30年後、福島県の人口は半減すのではないのかという悲しい推計である。
 事実、チェルノブイリ事故からすでに26年が経つが、同原発周辺の現在の立ち入り禁止ゾーンは、「方向によっては60㎞を越えるところまで広がっており、その面積(3700㎢)は東京都の1.7倍に達している」(今中哲ニ『原子力資料情報室通信』第442号原稿)という現実がある。福島の場合半径30㎞となっているが、現実にはその立ち入り禁止ゾーンを越えて、放射能汚染による風評被害という、どこまで続くかわからない被害に苦しんでいる。
 福島の人は、いつ故郷に帰れるのだろうか? 日本の原子力発電政策は、自らそれを御すことのできないまま原子力を使用して、多くの国民から「帰ることのできない故郷」を奪ってしまったのではないか? この取り返すことのできない過ちを、国や電力会社はどうすれば償うことができるのだろうか?
 加えて、がれき処理、津波対策などによる抜本的町づくり方針を国を挙げて打ち出さない限り、悲しいことに被災地の人口減少は続くであろう。


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