龍飛岬(タッピみさき)は霧の中で何も見えなかった、と書いた。しかしそれは、そこで何も思わなかった、ことを意味しない。
この岬一番の観光名所は、『津軽海峡冬景色』の歌碑であろう。なんと言っても、この歌謡曲がこの地を全国に知らしめたのであろうから。当然のことのように私もワイフもこの前で記念写真を撮った。次々とその碑の前に立つ人たちの順番を待ってまで・・・。そして、そこに書かれた歌詞をよんで、改めて作者阿久悠の作詞力に感じ入った。私はこの演歌を好きではないが。
上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけをきいている
・・・ ・・・
「上野発の夜行列車」という言葉だけで、多くの人はエレジー(悲歌)を感じる。「おりた時から・・・雪の中」でそのわびしさが増す。「北に帰る人」は誰も無口だが、みんな共通の意識の中にいる・・・口などきかなくても。
すばらしい導入である。しかしこの一番の歌詞は龍飛岬では流されていない。歌碑のボタンを押すと流れ出るのは二番の歌詞である。それは、二番にこそ「タッピ」という地名が出てくるからだ。歌碑を見た人は次々とボタンを押すので、この二番の歌詞だけが龍飛岬を終日流れ続けているのである。
ごらんあれが龍飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ
「見知らぬ人が」指をさす・・・というのが、一番の歌詞の「人の群れは誰も無口で」と響きあって聞こえた。みんな無口でも思いは通じ合っている・・・「北のはずれ」を見納める思いは誰にも共通で,無口だった「見知らぬ人」の話しかけがきわめて自然だ。「並みの作詞家じゃあないんだなあ・・・」と思った。
そのようなことには関係なく、二番の歌詞だけが流れていたが。
快晴の龍飛岬で、夏の津軽海峡と北海道を眺めていたらこんなことは思わなかったかもしれない。霧の中に浮かぶ歌碑が、他を捨象して阿久悠をひときわ浮かび上らせたのかもしれない。
歌碑