これまた何度も書いてきたが、私は男ばかり5人兄弟の長男として育ってきた。子供の頃を振り返ると、両祖父母、両親、と五人兄弟が一つ家に住む大家族であった。それに近くにいた叔父や叔母が絶えず絡んでいたので、まさに大家族主義の典型であったのだろう。
それが今や、血筋を引く一族としては兄弟三人だけになった。祖父母や両親は当然だが、兄弟の中でも三弟と次弟が次々に逝って、9歳下の四弟(75歳)と13歳下の五弟(71歳)の三人だけになった。この三人は、早くから故郷(大分県臼杵市)を離れて東京に住んできたが、身内の集りや、様々な集会などで一緒になることはあっても、三人だけで飲むということは殆どなかった。
ここ数年、二人の弟の葬儀や法事が続いたので度々顔を合わせてはいたが、それらが落ち着いて静かになるにつれ淋しさが増してきたのか、「…オイ、三人だけになたんだなあ…、たまには飲(や)るか」ということになった。わが兄弟はいずれも酒豪で、集まると大言壮語しながら夜を徹して飲んでいた。今やその勢いはなく、話の内容も他愛もないことに終始したが、これまで感じtことのない絆のようなものが通う夜であった。。
「また飲(や)ろう」という別れ際の言葉には、普通の飲み会で交わす一般的な響きにはないものがあった。
散歩コースであr松澤病院周辺の河津さくらは、早くも満開で会った。
パスポートの期限が来て、ここ2,3か月、更新するかどうか悩んできた。更新するとしても5年であるが、それにしても90歳を迎える。恐らく外国旅行で使用することはまずないであろう。
10年前のブログをめくると、2010年1月28日付で次の投稿がある。
「…今度の期限をいつにするか? 10年後には85歳になる。そこまで生きているとは考えにくい。…しかし癌の宣告を受けているわけでもない、85歳は全く自信はないが、まあ、10年で更新すことになるのであろう。分別くさく5年で更新し、またまた更新するなんて何だかみっともないから」
その10年が過ぎて再び期限が来たのだ。60年代から70年代前半にかけては、年に10回平均で海外を旅した。パスポートも大いに活躍したのだ。だが、今のパスポートをめくってみると、たった1回オーストラリアに行っただけだ。今度更新しても、新しいパスポートで外国に出かけることはまずありえない。
にもかかわらず、何があるか分からない…、という気持ちを捨てきれず5年更新の手続きを済ませてきた。「何だかみっともない」という気持ちに苛められながら。
因みに、私より5歳若い妻は、キッパリと更新を断った。
昨日は最高気温が16度近くに上がり、文字通り春の到来を感じさせた。うっかりそれにつられた私は、歌をおもう「谷のうぐいす」は、「さては時ぞと」歌い出したであろう、と書いた。
ところが今日は、最低気温1度、最高気温も6度と、昨日より10度も低い。加えて北風が強く、寒さは肌にしみる。うぐいすたちは「さては時ぞとおもうあやにく」この寒さに触れて、やはり「時にあらずと声もたてず」に谷へ舞い戻ったことであろう。昨日の描写を訂正しておく。
併せて、紅梅の写真を並べて、わが庭にも春が来た、と書いたが、これも、春はまだ遠いと書き改めておく。
(注)文中カッコ書きの引用は、吉丸一昌「早春賦」より。
昨日は立春……、文字通り春が来て、今日の気温は最高十数度まで上がった。
「今日もきのうも雪の」気配すらないので、谷のうぐいすも今日こそは「さては時ぞと」歌い出したのではないか。
我が家の庭の紅梅が、何年かぶりに花をつけた。庭に隣接する空き地に住宅が立ち並び、その空き地に覆い出ていた木々をバッサリと刈り上げたので、そのあおりを受けたうえに日陰となった紅梅は、2年ばかり花を付けなかった。ところが今年は、あの清楚な花びらをイッパイにつけてくれた。日照を遮られたわが庭にも春が来たのだ。